最高裁判所裁判官国民審査には×を付けましょう!

 衆議院議員選挙の時、ついでにって感じで、同時に行う国民審査についての問題点は、
かなり以前から云われていることであるが、なにも改善されていない。
投票の仕方は、信任しない裁判官に×を付けた場合のみ有効で、白紙の場合は
信任したとみなされる。衆議院議員選挙で投票所に行けば、最高裁国民審査の投票用紙も
有無を云わせず渡されてしまう。何も分からない人は白紙のまま投票箱に入れてしまう。
いままで裁判官がこの国民審査で不信任になったことはないし、これからもないでしょう。
これでは公平な国民審査とはいえないし意味がない。少なくとも、○か×かの意思表示をしたもの
のみ有効にするべきです。でなければ、裁判官は国民の為の裁判ではなく、任命していただく
内閣の為、政府のための裁判官と裁判所のままです。国民ごときなどなにも怖くはない、
頭を下げなければならないのは内閣と政府なのです。
事実、政府側にとって不利な判決はほとんど出ていません。ときには明確な判決を出さずに、
裁判所の係わる問題ではない、国会等で判断することだなどと、裁判官の職務を放棄するような
逃げの判決を下す無能な裁判官が多いのも、裁判官が国民を全くバカにしている証拠でしょう。
 本来なら最高裁判事の任命も国民の直接選挙で選ぶのが良きことでしょう。それには日本国憲法の
最高裁判事の内閣の任命権を改正する必要があり難しいが、こういった改正なら憲法改悪とはならない。
 内閣が任命するといっても、それではいったいいつ何処で誰が選んでいるんだ? 
主権者たる国民のほとんどがそれを知らない。


あほは選挙にいかなくてもかまいません

 この程度の国民なら、この程度の政治にこの程度の国家。
無知な人は選挙には行かないでください。人に頼まれたとかいうのも行かないように!
自分で判断できない人は選挙で投票する資格はありません!
国の代表である国会議員を地元の代表だと勘違いしているおバカさんも選挙には行かないように!
あんなに悪事を働いても、また当選するのは地元代表意識が強いからですね。
県民の代表は県議会議員、市町村民の代表が市町村議会議員なんだよボク、分かった?
大勢のお馬鹿さんが選挙に行くかぎり、日本の政治は国は決して良くなりません。
だからこのおばかさんたちを啓蒙させなければなりません。
また、選挙制度は衆議院議院はすべて比例代表制にします。それは、日本は議院内閣制すなわち、
個人が政治をする大統領制ではなく政党(複数の人)が政治をする制度だからです。
参議院議院は昔あった全国区制一本にします。


皇室の人々にも基本的人権の尊重と自由を与えます

 皇室の人も人間じゃないのか。それとも神ですか。
彼らには日本国憲法に保障された基本的人権と自由が剥奪されています。
選挙権もありません。職業選択の自由もありません。移転転居の自由もありません。
国籍離脱の自由もありません。結社の自由もない。資本主義にして会社設立、経営、利潤追求の
自由もない。
恋愛も自由に出来ないのか。婚姻の自由も実はないでしょう。。
好きな山登りも自由に行けません。ほんとうの自由な国内旅行も海外旅行も行けません。
今週末の日曜日、天気が良さそうだからちょっとキャンプに行こうかな。。
スキーに行こうかな。。って行けないですね。
ちょっとドライブに。。ちょっと秋葉原でアウトレット探り。。今夜はカラオケで・・・
みんなみんな出来ないのね。かわいそう。。かわいそすぎるぅ。
まるで終身懲役刑。それとも一部の人たちの人間ペットかぁ!
もうこんな残虐な行為はいいかげん終わりにしてあげよう。いづれにしろ21世紀を迎えて、
こんな不思議な制度。天皇などという世襲をするへんてこな時代錯誤な幼稚なおままごとの
ような制度はそのうち無くなる
時は来るだろうが、それまでの間、彼らには基本的人権と自由はない。
戦前の天皇を祀り上げ利用だけした、天皇崇拝カルト教団の信者らに今でもおどらされて・・・。
まだまだ彼らは冤罪による終身刑から解放されないし、人間ペットとして羽を切られた鳥のように
飼い殺しということを、善良な心暖かい人々ならば憂うべきことです。
こういった風に国が人を差別していて、国民に「部落差別をなくそう」なんて偽善をよくも
いえたものだ。
部落差別は天皇制がある限り本当には無くならないであろう。国の頂点で人間を差別しているのだから。
 それから、未だに日本では皇室について自由に意見を述べるのはタブーのごとく風潮がある。
なんともアナクロニズムな、情けない民主主義、国民的意識の低さであろうか。


公式な文書等では元号は使わない

 昭和だの平成だの、元号はもはや使うべきではない。
個人的に使う分には自由であるが、公式な文書で未だもって使うのは時代錯誤も甚だしい。
 その理由として一つ目は、敗戦後、日本は天皇主権制国家から民主主義制国家になったこと。
 二つ目に、この国際協調化時代に日本国内の一部にしか通用しない年号を使っているのは
「井の中の蛙」としかいいようがない。国際的に通用しない。日本国内にいる外国人にとっては
迷惑でさえある。国際的に情けなく恥ずかしい。
 三つ目に、不便である。例えば、運転免許の有効期限が「平成**年の誕生日まで」となっているが、
天皇が明日にでも死んだらそんな年は存在しない。いつのことやら。。それから、明治何年は
今から何年前だと言うときに、計算がややこしい。
このような幼稚なままごと遊び、天皇陛下ごっこ、のような年号をいつまでも使っているのは
いかがなものか。時代の流れとしてそのうち使われなくなるだろうが、今すぐにでも廃止すべきだ。
 よって、公の書類その他もろもろにおいて年号を使う場合には、元号を使わない。
(ただし個人的に使用する分にはもちろん自由である)



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