暴虎馮河の雪山表銀座縦走

 
 5月1〜5日
 先日まで病院の整形外科に通っていた。病名は、「リュックザックマヒ」・・・!?。
 そんなけったいな名前の病名があることに驚愕した。重い荷物を長時間背負ったままでいると、肩や胸の血管を圧迫して血液の循環が悪くなり、腕や手が痺れをきらした状態になる。これが回復しないうちにさらに行動を続けると、血管を完全に圧迫してしまい、数日経っても直らない状態が続く。これがリュックザックマヒというらしい。特に、肉や脂肪のあまり着いていない細めの人がなりやすいそうなので、スマートな体型だと思っている貴方は気を付けて下さい。
 今回は、短時間行動のうちにバテてしまった。夏同じ所を縦走したときは、もっと重い荷物も担ぎ、14時間にも及ぶ行動もしたが、今回ほどまでもバテなかったし、リュックザックマヒなどというけったいなもんにもならなかった。これは、夏のときは単独行だったため、自分のペースで行動ができたからだろう。疲れたら直ぐ休んで完全に体力を回復させてからまた行動に出る。疲れたら直ぐ休むというのが結構重要なことのようで、無理に行動を続けると体力回復にかえって時間が掛かるし、最悪の場合は体力回復不能となる。夏の時は、疲れたら直ぐ休んでいたので、5分程の休憩で体力回復ができたし、長時間行動もできた。今回の春7人パーティで行き、ずっとトップを歩いていたので、自分のペースより遅いペースで歩けたのだが、やはり雪山であるのと、7人パーティーにもなると体力と同時に気も疲れる。
 『旅のよい道連れは旅路を短くさせる』アイザック・ウォルトン
 疲れが現われるというのは、黄色い注意信号で、体の機能が休めと注意を促している。信号無視をしてさらに赤信号になっても行動を続けると、取り返しのつかないことになるのは現代医学では常識のこと。体が寒いと意思表示しているときは、暖かくしてやり、暑いといっているときは涼しくしてやり、痛みを訴えているときは痛まないようにしてやる。これを無視して、精神力じゃ気力じゃなどと、どっかの新興宗教の教祖様じゃあるまいし。昔の大日本帝国の指導者ように、日本人は気合いじゃクソじゃなどと道理の通らないことを言って、近代兵器戦の第二次世界対戦に日清日露戦争当時の竹槍・銃剣戦法で戦っても勝てるわけない。敵を知らず、己も知らず。ただ無知のために、キノコが生えて、胞子が飛んで前葉体になったような古臭い慣習や仕来たり、くだらない迷信や偶像崇拝を無批判に信仰していると必ずしっぺ返しを受ける。
 『舟に刻みて剣を求む』 動いている舟から剣を落とし、舟のその場所に目印を 付けて後で探すというまぬけなこと。転じて、時の推移を知らないこと。

 一日目、合戦尾根を順調に登った。強風の中でテントを設営。ポキッ。「あっ!ポールが折れた・・・」
修理をして再び設営。しかしまたポキッ! アッ! 駄目だ。
この時点で残念ながら楽しき雪山縦走は終りを告げた。明日は下山することになる。がっくり。今日は小屋に素泊まり。こうゆう時の小屋の中は何とも退屈。乾燥室にて、あるおやじが私達のグループにたいして
「どこかの大学のサークルですか」
などと言う。誰をどう見れば大学生に見えたんだろう。でも大変喜んでいた人もいた。夜、ウノを充分楽しむ。外は相変わらず荒れ模様。寝る。真っ暗の真夜中、○○さんがなんか喋っている。おおっ、なるほど、これがあの有名な噂の寝言か・・・。なんだろかと思った。
『それでも地球は動いている』ガリレオ・ガリレイ

 そして二日目、そして朝、そして天気が悪い。そして燕岳のピークも踏まずに下山予定。しかしながら、燕岳のピークを何故か踏みに行った。そして天気が少し回復。そしてやっぱり縦走しよう。そしてとりあえず大天井岳まで行って常念へぬけてみよう。そして縦走路にはほとんど雪はないのに、大天井岳まで5時間近くもかかる。何故だ。そして大天井岳の登りが辛い。そしてもうあかんわ。そしてバテた。そして、そして山頂からの槍の展望は素晴らしい。そしてこれよりどうするか。
西岳に向かうは暴虎馮河。このまま常念に向おうとの話もでたが、コースタイム等の問題で結果的には安全第一を考えてここに設営することにした。
そして、さあ明日はどうする。常念から蝶を越えて徳沢へ入ろうなどとも言っていたが、とてもそんな長丁場は歩けるはずない。そして残りは常念乗越を安曇野に下るしかない。とにかくもう日数が足りない。そしてドツボにハマッた感だ。しかし、夕方の情報屋の噂で、水俣乗越より槍沢に下れるとの情報が入り、ドツボから出た。そしてそして・・・。 『芸術は爆発だ』岡本太郎
 三日目、朝、日の出とモルゲンロートの槍穂高がとても美しい。山が一番美しい姿を見せる時。
なのに、みんなもっと感動しようよ!
 西岳に向かう。喜作新道はものすんごいヤセ尾根。こういう狭い所は嫌いである。双六岳のように広い所が好きである。夏に喜作新道を歩いたとき、「冬道はこっち」という看板を見て、冬にわざわざこんな所に来る物好きもいるもんだ、変な奴・・。などと思ったが、今その物好きの変な奴になってしまっていた。
 『君子危うきに近よらず』
 死にそうな箇所がいくもあった。ザイルを使っても雪がみぞれ状に溶けだし、確保の仕様がない。ザイルを使わずどんどん進む。『一蓮托生』より、落ちる人だけ落ちてもらおう。だが、誰も落ちなかった。よかった。
 赤岩岳。どれが山頂なんだ。良く分からん。
 西岳の山頂。下の方にヒュッテ。見える。下る。アッ!道がない。力が抜けた。また西岳。登り返す。疲れた。
 水俣乗越に向かって下る。えらい急斜面やんか。東鎌に七人のパーティーが見える。我々の他にも無謀な阿呆どもがいた。。
 『陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない』日本国憲法第九条第二項より。
 水俣乗越の手前に、ナイスな所から槍沢に下るアシカタが付いていた。私達は槍沢に下る。夏なら燕山荘から槍の肩まで一日で行けるが、この時期は、ウルトラ変人でもない限り三日はみておかんとあかんな。ここで槍に向かわず、槍沢に下った判断は、誰が何と言おうと間違いなく正しい判断だった。テントのポールが折れて、下山しようとまでしたのに、よくもまあがんばってよくここまで縦走してきたもんだ。これ以上前進するのは頑張りではなく、無謀だ。無謀=無知のなせるわざ。
 『活動的な無知より恐ろしいものはない』ゲーテ
 どうしたってこの時間、このパーティーで槍の肩まで登れる筈がない。山も車の運転も工事現場のおやじも安全第一。無理をして、もし事故でも起きて死んだり、障害者なんかになったりしたら、他人に過大な迷惑を懸けるだけではなく、本人も、もう二度と好きな山には登れなくなる。元気でさえいれば、またいつでも来れる。 『命あっての物種』
 それから私達は子供の学生の山岳部やワンゲル部ではない。大人の社会人だ。同じように趣味や遊びで山登りをしていても、社会人である以上みんなそれぞれ仕事を持っているし、家庭もあるだろう。予定日に下山できないような事では、それらに対して迷惑を懸けるなどの責任という問題もある。これができなければ山登りなんかやめて下さい。と言われても仕方がない。(その職場や家庭に、いてもいなくてもどうでもよいとされている人は除く)
 『女の人はクリスマスケーキと一緒なん。23、24はよう売れても、25過ぎたら急に売れんようになる』桂文珍
 ババ平の天場に到着。ひと安心したが、テントを張った後、気分がすぐれずテントの中でダウン。まもなく、夕食のマーボ春雨を食べて生き返る。 『恐れ入谷の鬼子母神』

 四日目、韓国そーめんを食べ出発。上高地に向かった。
 上高地にて記念撮影して、タクシーで松本駅へ向かう。国道158号は混んでいた。タクシーの運ちゃんは158号を外れて、りんごの花咲くりんご畑の中を走る。こんな抜け道があったんだ、今度この道使わしてもらお。
 松本駅内のレストランにて食事。「豊野さんの御薦め定食」とやらを食べた。けっこう美味しかったぞ。しかし豊野さんって、いったい誰やねん?
 『人間は考える葦である』パスカル
 雪山縦走はほんま疲れるだけやね・・・・。
 自然が寝ている冬山よりも、自然が生きていてその美しい姿を見せてくれる夏山の方が好きだ。冬は全てのものが雪に埋もれてしまう。展望もモノトーンでつまらない。しかし、夏には全てのものが生命を活動する。木々は緑に栄え、野鳥の鳴く声がこだまして、高山植物の花は咲き乱れお花畑を作る。夏山は心を和ませてくれる。ミヤマキンポウゲとミヤマキンバイの違いが分かれば楽しいじゃないですか。 よく夏山は人が多いから嫌だとか、北アルプスは人が多いから南アルプスがいいと言うのを聞くが、自然の中の美の探求ということにおいては大きな誤りである。人が多かろうが少なかろうが関係ない。人によって左右されるべきでない。逆に南アルプスに人が多ければ北アルプスの方がいいことになり、節操がない。良いものはなんだろうが良い。
 『いかなる自然の中にも美を認め得ないものは、その人の心に欠陥のあることを示す』シラー
 そして、雪が消えた山肌は、芸術的なカール、モレーン、U字谷、断層、しゅう曲など克明に見れるし。安山岩、玄武岩、花崗岩等の岩が直接手にとってみれる。燕岳を形成するこの花崗岩は火成岩の深成岩で、マグマが地下深くでゆっくりと冷えて固まってできた。セキエイが主体で、二酸化ケイ素の含有量が多いため酸性岩で色が白っぽい。とか、蝶ガ岳の頂上が少しずつ動いているとか、常念岳が地下から中性層を突き破って隆起してきた、まだまだ伸びるんかとか、水俣乗越のキレットは断層作用によってまだまだ深くなるぞとかや、祖父岳の火口は何処だろうとか、雲ノ平らや双六岳はなんであんなに平らなんだろうかとか、安山岩の槍穂高連峰の槍ガ岳はなんでとんがってるんだろうなどと、学術山行を楽しめるのも夏山ならではのもの。天気図の書き方だけではなく、地学や植物の勉強もやって、さらに有意義な山登りを楽しみましょう。
いかに危険な困難なところへ登山したかと、自慢したり自己満足に陶酔したり、そんな幼稚な登山者が多いのは事実だし、またそれらは本当の山の、自然の、素晴らしさを知ることの出来ない可哀想な人たちでもある。
また、そういう人たちが毎年山で事故を起こして多くの人たちに迷惑をかけている!
『暴虎馮河』:素手で虎を打ち、黄河を歩いて渡るというような、無謀な命知らずの行動