七倉〜烏帽子〜野口五郎〜水晶〜鷲羽〜三俣〜水晶池〜高天原〜夢ノ平〜雲ノ平 〜祖父〜五郎平〜三俣蓮華〜双六池〜槍〜徳沢〜上高地

 
 8月8〜16日
 荷物が重い。朝、出発直前に最後の荷をザックに詰め込み、背負ってこの重さにまいる。この重さではとても縦走する自信はない。再びザックを開いて贅沢品を取り除く。長期入山では「贅沢は敵だ」しかしそれでもまだ重かったが、もうこれ以上減らす物はない。仕方がない、くそ重いザックを背負い、くそ暑い街の中を新宿駅へ向かう。駅の階段の上り下りが辛い、これで本当に縦走なんかできるのだろうか心配になった。
 10時ちょうどの「あずさ9号」に乗る。夏の帰省シーズンでもあるので、指定席を取っておいたのは正解だった。でかい荷物を持って自分の席へ・・・んっ?  自分の席にファミリー四人が席を向かい合って座っているではないか。 もう一度確認、間違いない。
「9号車の9のAなんですけど間違ってませんか」
 お父さんがアレッ?というような顔をしてチケットを確認する。
「あっ8号車だ」
 お母さんが「すいません」と言いながら席を直し、早々と立ち去る。朝っぱらからボケまくった家族に遭遇してしまう。
 それから今度は甲府で、空いていた隣の席にいきなしヘヴィメタの兄ちゃんが乗り込んで来た。ヘヴィメタのくせに指定席なんか取って軟弱なヘヴィメタやなあ。ウォークマンで重いギンギンのやつを、松本までずーっとかましまくっていた。
 それにしても「あずさ」の冷房は効きまくって寒い。そういえば新幹線も冷房に効きすぎやっちゅーねん。弱めるか、毛布のサービスしたらんかい! 風邪ひいたらJRが保障しくれんのかい! ええかげんいしいや、これからは新幹線はやめて飛行機にしよう。 そういえば、ファミレスの特に「ガスト」は冷房効き過ぎやっちゅーねん! これからはガストはもう行かない、「餃子の王将」にでもしよう。
 松本を過ぎると車窓から常念山脈がよく見えた。しかし今夜から台風10号がやって来るとニュースで騒いでた。
 列車は信濃大町駅に着き下車。何かやたらとザックを背負った人達で狭い駅の中はごった返していたが、この人達はほとんど立山方面へ向かう人達だった。七倉行きのバスに乗った登山者は自分の他には二人だけで、あとは地元のおばちゃん数人。七倉行きのバスは田舎のオンボロバスである。狭いカーブ道で前から来た大型観光バスとかち合う。どちらかがバックしないとすれちがいはできない。オンボロバスの運ちゃんはバックギアには絶対入れようとはせず、あくまでも前進のみといったふうである。「貴様いつからそんな大きな運転できるようになったんぜよ!」みたいに。大型観光バスの運ちゃんが必死こいて、前へ後ろへと交わしまくってやっとすれちがう。オンボロバスの運ちゃんはそれからゆっくりとギアを前進に入れ、バスを走らせる。
 そのうち雨が降り出す。終点の七倉に着いたときには結構降っていた。今日はできれば不動沢の天場まで入っておきたかったのだが、台風も来ているし、初日からテントを濡らしてさらに荷を重くし、北ア三大バカ登りのブナ立尾根を登るのもしんどいし、「あずさ」の冷房が寒過ぎて頭も痛かったので(ほらみてみんかいっ!JRのせいで病気になってもたがな!)、温泉付きの七倉山荘に泊まることにした。登山者たる者は普通予約なんかしないもので、さっきオンボロバスに乗っていた登山者二人と相部屋だった。一人は東京からやって来て裏銀座を行くという43歳のおっちゃんαさん。もう一人は新潟からやって来て雲ノ平に行くという34歳の兄ぃーやんβさん。
 三人は山の話なんぞしながらテレビの台風情報に見入る。
「速度がさっきよりも速くなってますね、大丈夫ですよ、今夜のうちに台風は通り過ぎますよ」
 と誰かが言うと。
「そうですね、明日は晴れて平気ですね」
 と、三人は楽観的なというか、自分達に都合の良いように解釈してお互いに安心し合うのであった。しかしどうも明日、三大バカ登りのブナ立尾根を必死こいて登っている時に台風が一番接近するような雰囲気である。
 温泉に入り、夕食をとり、またテレビの台風情報を見、雨垂れの音を聞きながら寝る。

 9日 天気● 雨だれ前奏曲で目を覚ます。台風はいずこへ、、「聴けよ〜、ニュースニュースニュースぅ〜。。」てなことで台風はいま日本海にいるそうです。朝食を食べ、タクシーで同じ部屋の二人とそれにもう一人、雲ノ平から槍に行くというγさんの四人で高瀬ダムに向かう。今後この四人は三俣までパーティは組まなくとも、半行動を共にすることになる。
 近年、七倉から高瀬ダムまで許可タクシーのみ入れるようになった。この間を歩くと二時間も掛かる。一度歩いたことがあるが、長いトンネルばかりで、しかも最後のジグザグのダムへの登りは非常にかったるい。タクシーだとほんの15分。タクシーの運ちゃん曰く。
「これがもう大変だった、市なんかと一緒に何年もかけて東電と交渉してやっと実現した。この道は本当は県道なんだが東電の管轄で、なにか事故があったときの責任問題で、通行するにあたって約束書みたいなこんなブ厚いのがあって色々と細かく書いてあるんだ。各タクシー会社には許可車は数台しか降りない。」
 雨の高瀬ダムの上で軽く体を運動し、ブナ立尾根に向かう。不動沢の長いトンネルの中では、雨を避けて夜行組の数パーティが朝食をしたり身支度をしている。
 いよいよブナ立尾根を登る。荷物が重い。あまりにも重いので朝、食糧の中でカロリーは高いが一番重かった餅を半分ほど山荘に置いてきたがまだ重い。一歩一歩登っていくペースが大変遅いのが良く分かる。他の三人は小屋泊まりで、40Lぐらいのザックでスイスイ登って行く。とてもそのペースには付いて行けず先に行ってもらう。そのうち後から来るパーティにもどんどん抜かされて行く。おっさん、おばはんにも抜かされてしまう。なんだか情けない。大休止は取らず、小休止を数多く取りひたすら雨の中を登る。そして「権太落し」とよばれる大岩の所で小休止した頃から体がだいぶ慣れてきて、どんどんピッチが上がり始めた。ターボエンジンが効いたように今まで抜かされたパーティをどんどん抜き返して行く。今までの分を取り返すかのように。そして小屋には12時ちょうどに着いた。予定より一時間早かった。ブナ立尾根は良く整備されていた。しかし展望のない樹林帯の長時間に及ぶ登り一辺倒はやはり嫌なものである。知人が以前ここを下ったことがあって「あんな坂、登るもんじゃないよ」と言っていたが、ぼくはあんな坂、重いザックを背負って下るもんじゃないよ、と思った。 台風は今どこにいるのだろう。小屋に着いても雨はガンガン降っていた。体は雨だか汗だか分からないぐらいびしょ濡れだ、寒い。いくらゴアでも長時間雨に晒すと染み込んでくるようだ。烏帽子岳を往復してこようかと迷ったが、行ってもこの天気ではなにも見えないし、早く乾燥室に入りたい。まだ先は長い、ドツボにハマらないうちに今日は小屋に素泊まりをお願いする。
 烏帽子小屋の乾燥室は威力が弱く、部屋の中にいるとポカポカと暖かくて気持ちがいいなという程度だった。ぼくはおばちゃん達と、ずーと乾燥室で怯んでいた。濡れた物を必死こいて乾かす以外にすることもなく、夕食まで退屈な時間であった。そのうちαβγの三人もやってきて、11時頃に小屋に着いたと聞く。
 今日の夕食は一番重いものから食べてしまおうと、重そうだったハンバーグと餅を取り出し、ハンバーグカレーと、力ラーメンを狭い自炊場で作って食べる。
 夏休みシーズンだが台風の影響もあり小屋は空いていた。他に何もすることもなく、台風一過の明日の天気を期待して早めに寝た。

 10日 天気○ 早朝に目を覚まし、窓から外を見た。澄んだ星空と赤牛岳がバッチリ見える。よーしっ! 今日は快晴だ。さっそく起きて、昨日踏めなかった烏帽子岳を踏みに、まだ薄暗い道を意気揚々と歩く。
そして、ニセ烏帽子に登ると目の前にあのユニークな山容の烏帽子岳が現れた。「コンタツおじさんの北アルプス案内・南部編」で見たあの写真の風景と同じ風景だった事に妙に感激する。
 それから山頂を目指す。山頂直下には、もろい花崗岩の岩登りもある。山頂は狭く、人一人分しか立てない花崗岩の突起が二本あるだけだった。しかし展望はものごっつい良かった。北側にある烏帽子四十八池が見事だ。
 隣に登って来ている奴の履物を見ると、なんと小屋のサンダルでここまで登ってきている。名古屋もんだった。おみゃーさん笑らかっしょんのー。
 そしてさっきのもろい岩場を降りる。「岩登り」に行くというのはよく聞くが、「岩下り」に行くというのは聞かない。上りよりも下りのほうが難儀するような気がする。
 日本庭園のような烏帽子周辺のごきげんな道を小屋に引き返す。小屋に戻ると、もうほとんどの人が出発した後だった。今日は水晶のピークも踏みに寄り道しなくては。長い道程になる。少々予定より遅くなってしまった、朝食を軽く済ませ出発。三ッ岳の周辺はコマクサの群落だった。槍が見え出す、数日後にはあの山頂にいるんだ、まだまだ先は長いな。
 快晴の尾根歩きは楽しい。水晶岳が素晴らしい展望でどんどん近づいてゆく。
 野口五郎小屋で一本いれる。ちょっと重いが、ごきげんなフルーツ入りゼリーを食べていたら、γさんが現れた。どうしたんだろう。
「どうしたんですか、もうとっくに先に行ってると思いましたよ」
「いや、烏帽子周辺で写真を撮ってたら遅くなってしまいましたよ」
 とγさん。それから野口五郎のピークを二人で目指す。小屋を出発する時、小屋のおねえさんが何気なく「お気を付けて」と言ってくれたのがなんか嬉しかった。何故か野口五郎岳は、ほとんどの人がこのピークを踏まずに行ってしまう。縦走路からほんの一分も登れば山頂だというのに。鷲羽岳と同じ高さの二九二四mもあり、展望もごきげんだとゆうのに。もったいない。
 そしてごきげんな縦走を続け東沢乗越に着く。すると今度はこんな所でαさんが疲れた顔をして缶詰を食べていた。
「どうしたんですかこんな所で」
「いやー、夕べの味噌汁がえらく辛かったでしょう、それで胃腸の調子が悪くなっちゃってどうも力がでないんですよ。今日はもう水晶も鷲羽も踏まず、ゆっくりと三俣山荘まで行きますよ」
 βさんは水晶を踏むということで先に行ったそうである。それから三人は水晶小屋を目指した。これから先はガレたやせ尾根でガイドブックなどで注意を促していたが、見た目は凄いが実際はそれほどでもなかった。ガレたやせ尾根といえば、鳥取の伯耆大山のラクダの背の縦走を思い出し、どうもビビッてしまう。行ったことのある人はみんなあそこの縦走は「ちょっとまずいよ」と云う。平均台のように狭く、しかもボロボロだ。あの時はほんまビビッたなあ。
 水晶小屋に登り着く。小屋はどっかの工事現場の事務所のようなプレハブの小さな小屋だった。噂ではこの小屋では水は分けて貰えないということだったが、水筒の水が少なくなっていたのでとりあえず小屋のおねえさんに訊いてみた。すると貰えるという。ラッキーと思い水筒を差し出し1g分けてもらい百円を渡そうとすると、「お金は貰っていません、必要な方には差し上げています」と、またまた意外な言葉に驚く。小屋のおねえさんが天使のように見える。たぶん昨日の大雨で水が沢山あったのだろう。でも水は雨水だったので、そらまずかったね。
 それから時間は少し遅れ気味であったが、三俣には5時頃には着けると計算して水晶岳ピストンに向かう。体調の悪いαさんは先に三俣に向かい、γさんと二人で行く。片道30分程度である。 水晶岳というだけあって、岩には小さな水晶が至る所で光っていた。その山頂からの展望は、このうえなく素晴らしい。雲ノ平の全容も見渡せる。槍や穂高の山頂よりもずっと素敵だった。どっかのおっちゃんが黒部五郎岳を見て「うわーっ、でっかいカール」と感動していた。そのおっちゃんが、どっかのワンゲルのパーティのリーダーらしき兄ちゃんに「黒部五郎の右にあるでっかいあの山はなんですか」と聞くが、ワンゲルの兄ちゃんは分からないようだったので、「北ノ俣岳ですよ」と教えてあげる。さらにおっちゃんは「薬師岳は三千メートルあるんですか」と聞くが、それも分からないようだったので「あと一歩でないんですよ」と教えてあげる。それから水晶岳は双耳峰になっているが、どちらが三角点でどちらが最高点かも分からないようであった。深田久弥の「日本百名山」で、南峰の最高点は三千メートルを越えているだろうと書かれているせいか、南峰は三千メートルを越えている、といったような文献が結構でまわっているし、そう信じ込んでいる人もいるようですが、測量の結果は実際には三千メートルは越えてはいないようだ。
 しかしワンゲルの兄ちゃん、二週間入山の予定で、今日が6日目だとか言っていたが、リーダーがなんにも勉強してなくて、こんなんで平気なんだろうか。登山部とは違い、ワンゲルはこんなものなんだろうか。でも自分が入るとしたら、登山部ではなく、ワンゲルだろうな。登山部はなんだかんだと「特訓だ」「訓練だ」とすぐ体育会系の乗りになる。自衛隊や軍隊じゃないんだから。山登りはやっぱり楽しくやりたい。ぼくの山登りはあくまで趣味であり、芸術観賞とか美術館、博物館巡りの旅とか、ヨーロッパ古城巡りの旅とか、宮殿、庭園巡りの旅とかいったような、素晴らしき自然が作りだした芸術観賞巡りの旅なのであり、趣味の旅の延長線上にあり文化活動であって、決してスポーツではない。山登りは小脳ではなく、右大脳で楽しんでいる。だから教育とか学習というとあまり抵抗はないが、特訓だ訓練だとなると吐き気がする。イギリスのパンクロックのCLASHの曲の歌詞に「軍隊なんぞヘドがでらー」と歌う曲があるが、まさにそのとうり。昔のパンクは結構おもろいこと言いよったんだがねえ。。
 そんなとき水晶の山頂でγさんが、ズームレンズを野口五郎小屋に忘れてきた。電話しなくてはと青い顔をしていた。
 水晶小屋まで帰って来て厠を借りる。なんと水晶の厠はビニールの紐を釘に巻き付けて締錠するだけ。それでもドアがぴったり閉まらなく見えてしまうではないか。
 水晶小屋を後にし、三俣に急ぐ。γさんは雲ノ平に行くので岩苔乗越分岐で分かれる。
「お気を付けて、また何処かでお会いするかも分かりませんね、じゃ、お元気で」
 ぼくは鷲羽越えに向かう。
 割物岳で小休止していると、おっさんが二人後からやって来て。
「あれ、これが鷲羽岳とちゃうのん」
 と、狐にでも騙されたような顔をしてぼくに聞く。
「ここはワリモ岳じゃ、鷲羽岳はほれ、あそこに見えとるもう一つ向こうのあのでっかい山じゃ。旅のお方、気を付けて行きなされ」
 そしてぼくは誰もいなくなった鷲羽岳の山頂に登り着いた。この時間、もうあっしの後には誰も登って来る者はいなかった。その山頂からの展望は、水晶に次ぐごきげんな展望でした。写真で見飽きるほど見ていた鷲羽池と槍の組み合わせた風景も、やはり実物を見る方が良い。池は想像していたよりかは綺麗な大きな火口湖であった。でも、火口湖で一番綺麗だったのは加賀・白山の火口湖だった。五つの池があるが、その中の一つは本物のコバルトブルーで神秘的であった。鷲羽池はコバルトブルーもどきだった。逆にどぎたない火口湖は、焼岳の火口湖でした。
 山頂から赤い屋根の三俣山荘が見える。あそこまで急坂をひたすら下る。今日はもう12時間も歩いている。かなり疲れているようでペースが落ちる。小屋まであと少しという伊藤新道との合流点あたりで休んでしまう。それからやっと小屋に着き、天場を申し込みフルーツ缶を購入する。三俣山荘の受け付けのお兄さんはなんか偉そうにしていて生意気そうだった。そんなときαさんが、岡山大の診療所から胃腸薬を貰ってきたと現れた。とても疲れた顔をしていた。ぼくもとても疲れた。テントを張って休むが気分が悪い。カレーライスを作るが、カレーだけ食べて御飯が喉をとおらない。魚缶も食べられない。仕方ない、御飯の残りは明日の朝「永谷園の梅干し茶づけ」で食べよう。フルーツ缶を食べ、レミーマルタンのソーダ割りを飲んでとっとと寝る。

 11日(火)天気◎時々○ 朝、外を見ると鷲羽岳の山頂が見え隠れしている。  体の具合が熱でもあるようにいまひとつ良くない。今日の予定では雲ノ平経由で高天原温泉まで行くはずだが、雲ノ平は明日も通ることだし、岩苔小谷のルートで近道をして高天原温泉まで行こう。そうすれば5時間ほどで温泉に入れる、今日はもう休養日だ。うん、そうしよう。ということになり、8時頃にテントを撤収。そんなとき、αさんがやって来た。そしてやっぱり体調が良くなく、今日はもう槍へは向かわず新穂高に下るという。
「じゃ、お気を付けて、お元気で」
 単独行の長所と短所の両方を思わされる。単独行は自由気ままな行動がとれてよいが、不安な面もあり、忍耐力、精神力、判断力、知識力、体力といろんな面で負担になってくる。
 岩苔小谷に下る途中、家族四人パーティに出会う。この時間このパーティでこんな所で出会うということは、きっとこの四人は昨日、高天原温泉に泊ったはずだ。ちょっと訊いてみるか・・・
「きのう、高天原山荘は混んでましたか?」
「えー、けっこう混んどったな。うちら四人に布団2セットやもんな」
 高天原には天場がない。しかし温泉にも入りたいし、入浴後に雲ノ平の天場まで汗をかいて登って行くのも間抜けだ。仕方がない、混雑は我慢しよう。
 岩苔小谷のルートは思ったよりかはごきげんだった。最初は沢沿いの庭園とお花畑の道で、後半は南ドイツのシュヴァルツヴァルトを彷彿させる深い森の中の道で、なんか魔女か山ん婆(渋谷に多く出没する方のヤマンバではない。)が出てきそうな雰囲気であった。途中、沢から森へと変わっていく辺り少し道が不明瞭で、うっかりしてて沢沿いにずっと下ってしまうとこだった。赤いペンキの道しるべを見落とさないように! それにこの時期だというのに水晶池まで人に会ったのは、さっきの家族だけだったという寂しい道でもあった。
 水晶池分岐より水晶池までは、3分程軽く下る。台風の雨のせいだろうか、池には水が満々とあって、池の周遊歩きはできない。いつもは水は、もっと少ないのではないだろうか。奥日光の西ノ湖は行く時期によって、極端に水量が変わって風景が一変するので驚いたことがある。
 水晶池は静かな神秘的な池だった。そんな池を見ていると、朝体調が悪かったせいか便を済ませていなかった為、今頃催してきた。仕方ない、その辺でキジ撃ちだ。
 アッ! 人の声が聞こえてきた。慌てて元の所に戻り知らん顔をして風景写真を撮る。
 水晶池を後に高天原に向かう。この池の北側に眠ノ平と呼ばれる湿原があるそうだが、入り口がよく分からない。踏み跡みたいなのがあったので少し入ってみた。するといきなりそこには、伊藤左千夫「野菊の墓」ではなく、二、三人の「野糞の墓」になっていた。ぼくは引き返した。水晶池を見たものは、みんな野糞がしたくなるという不思議な力を持った池なのだろうか。ちなみにスイッシーは、いるような感じではなかった。
 昔この辺に鉱山の採掘場があったらしいが、あまりにも山奥深いため発展しなかったようだ。
 なんか怪しい伐採跡を過ぎるともう高天原だった。湿原のバックに薬師岳が聳える。小屋で宿泊手続を済ませ、カメラと水筒とタオルを持って竜晶池と温泉に向かう。小屋から20分の所に温泉があった。前を歩いていたおっさんが、ぶつくさ言う。
「小屋はもっと温泉の近くに造っておけよ」
 
 温泉に着いたが、先に竜晶池に行って汗をかいておこう。そして、目に入ってきたのが女性風呂の半透明のビニール板の向こう側でパンツを脱いでいる女の人だった。「なんなんだこれは、見えてるじゃないか」山奥深い温泉だからまあいいか。その女性風呂の直ぐ横を通って竜晶池への道は続いているようである。ようである、というのは、指導標も何も無く道はこれしかないから。ラーメンを食べていた男女に聞く。
「竜晶池へはこの道でいいんですか」
「そうみたいですよ、さっきも池に行くとか言って誰か行きましたよ」
 女性風呂の直ぐ横を通り竜晶池に行く。道はいきなりクマザサの藪こぎで、終始続く。約20分程で視界がパッと開けると竜晶池があった。池は、水晶池が神秘的なのに対し、こちらは明るく開けのんびりとした池だった。池を半周ほどできるよう踏跡が付いていてその道を行くと、池に薬師岳が写っていた。
それから少し先の夢ノ平にも行ってみる。次から次へと小さな庭園が現れる。平和すぎるぐらい静かな所だ。道はさらに奥へと続くが、地図によると点線になりぶち切れている。踏み跡はさらに奥の溶岩台地、又は黒部上ノ廊下まで続いているのだろう。この場所が気に入ってしまった。何時間でもいたいような所であったが、雷が鳴り始めたので引き返す。
 それから温泉に入り休養。少しぬるめだが長い時間は入っていれるのでちょうどよい。一時間も入っていただろうか、雷がどんどん近づいて来たのでそろそろ小屋に戻る。そして小屋に着くといきなしスコールとなる。運が良かった。今日は歩行時間も少なく、ゆっくりのんびり山旅が楽しめた。やはり山を楽しむには時間に余裕がある方がよい、昨日のようなカモシカ山行ではなんかもったいないような気がする。

 12日(水)天気◎時々○所により一時●のち嵐 今日は雲ノ平経由で五郎平まで行き、ホースマン森氏と合流。高天原峠より雲ノ平への登りはけっこう急で、木の根を掴み大股を開いて登って行く。ブナ立尾根より急登であった。そのうえ藪蚊もいる。山の中の蚊は街の蚊に比べて、毒の威力が強い。刺されるとひつこく痒くなかなか直らない。
 そして、階段状の開けた台地を三つほど登り切ると、黒い岩と草原とお花の高原、雲ノ平に出た。憧れの雲ノ平やって来ました。雲ノ平山荘でまたフルーツ缶を購入し、ごきげんな雲ノ平の景観を楽しみながら食べた。
それから祖母岳山頂に登った。ここからの展望はもう筆舌にあらわしがたき芸術的超名展望!槍や穂高の展望など、ここからの風景に比べたら子供である。その槍や穂高も見えている。槍の山頂からでは槍は見えないし、奥穂高の山頂からは奥穂高は見えない・・・。
 雲ノ平の天場は、ヌルヌルの泥の中。だいいち小屋から遠すぎる。でも素晴らしい。。水も豊富だ。
 それから祖父岳分岐に荷を置いて、祖父岳ピストンに向かう。途中に雪渓があって、踏み跡が沢山付いていてあみだくじのようでどれが正しい道か良く分からない。ガスった時は気を付けよう。広い山頂に着くと、ガスの中にケルンが沢山立っていて、何か墓標のようで気味が悪い。
「ガスの時、方向注意」という看板があったが、本当だ。うっかりすると、方向が分からなくなる。さっきの分岐まで戻る。この先の日本庭園と呼ばれる所がまた素晴らしい所であった。
 雲ノ平でのんびりし過ぎ、三俣山荘には予定より少し遅れ気味で到着。評判の展望レストランに立ち寄ってピラフを食べた。味は、山の中にしては美味しい。
 レストランを出るといきなし雨が降っていた。五郎平にはもうホースマン森氏は着いていて待っているだろう、急ごう。三俣蓮華の巻き道を行く。そんな時、雨の中、なんと前からホースマン森氏がやって来るではないか。「えっ、うそ、なんでこんなとこ歩るいてんの?」と分け分からなくなる。どうやら、五郎平に早く着き過ぎて、明日は槍に登るので少しでも近い三俣まで来ておこうということらしい。仕方ない。「徳沢で会いましょう」ということで、分かれた。今まで独りで歩いてきただけに、合流を楽しみにしていたのだが、少しがっかりして五郎平に行き、独りでテントを張った。
 雨は上がった。五郎平は雰囲気のよい天場だった。誰かが沢でパンツを洗っている・・・。たしかにそんな雰囲気のあるところだが、あっしもパンツまではいかないが、靴下を洗濯をし、テントとハイマツの上に干す。今日もまた一人寂しく夕食を作って食べる。さっき小屋で購入しておいたフルーツ缶が、寂しい夕食にわずかな暖かみを添えているようでもあった。そしてこの寂しいキャンプ場に追い討ちをかけるように、ど雨が降ってきやがった。洗濯物をテントの中に無理やり干す。そのうち雨風は極端に強くなり、テントの床下浸水。 床を押さえると、プカプカ水が流れている。側溝を掘っておくべきだったと後悔。しかしダンロップのこのテント、性能がよく、最後まで床上浸水は免れた。今晩は嵐となり、テントの中で独り一夜を明かす。テントが左右に大きく激しく揺れる。壊れるか、飛ばされるんじゃないかと心配した。

 
 13日(木)天気嵐 朝になり外を見ると、隣のテントが壊れて潰れ、中でカッパ着た人が難儀しているようだった。嵐はいっこうに治まらずにいた。しかしこの嵐の中、呑気な顔をして外で歯なんか磨いてる異人の女がいた。異人の女は強いなァ、これからどうするんだろう。などと感心している場合ではない、ほんま今日これからどないしょ。天気予報だと中部山岳では、あと24時間ぐらいはこんな天気が続くという。黒部五郎をピストンしたくてわざわざここまで来たのに、これなら昨日ホースマン森氏と三俣へ引き返せばよかったなどと考えても後の祭り。とにかく今日はここで停滞しても明日槍まで行けるが、できれば双六まで行っておきたい。しかし道はかなり悲惨のようだし、この天気では一人で行くのは不安だ。とりあえずテントを撤収し小屋に双六方面に行く人はいないか探しに行く。ほとんどの人はここに停滞するそうだが、何人かはいるようである。それにもう出発して行った人も何人かはいたそうだ。小屋の人は太郎平方面は無理だが双六方面なら行けるだろうということで、行くことにした。しかし希望者の一人の人を除いてあとはご老人だったので、小屋の人が無理だろうということで、けっきょく二人で出発した。昨日ここに下って来るとき、この溝状の急坂が少し沢になっていて、「こんな所大雨の日には通りたくはないな」などと考えながら下った道は、予想どうりその道は沢から河に変貌していた。上から水がドーッと大量に勢い良く流れて来る、なんなんだこれはと驚愕。しかしズボンをまくり上げ進む。そのうち、靴の中がピチャピチャと気持ち悪いというのをとうり過ぎ、気持ちいいやと開き直るのもとうり過ぎ、なんだか足がふやけて来た。稜線に出ると風も強くなり、雨が顔に叩き付け痛いし、まともに歩けない。雨具もいくらゴアでも長時間雨に濡れると濡れてくる、早く双六に向かおう。しかし相棒はなんだかペースが遅いし、直ぐ疲れているようだった。この道も初めてだと言うし、これなら最初から一人でも行けたなみたいな。
 そしてやっと小屋に無事着いた。小屋はもう停滞組や、天場から逃げて来た人でいっぱいだった。誰かがテントお願いしますと頼んでいた。すると小屋のおっちゃんに「えーっ、こんな日にテント張るってか、根性とちゃうか」といやーな顔をされていた。ほんまええ根性しとるが、夜中にでもテントが潰れ、小屋に逃げ込んできて結局小屋の人に迷惑をかけることになる。
 乾燥室はもういっぱいで干す所がない。凄く濡れた物は無理やり干し、少し濡れた物は着たまま乾かす。そんな時、ホースマン森氏が現れた。やっぱり居た、この天気じゃ西鎌は登れなくて双六にいるだろうと思っていたらやはり居た。槍まで行くつもりで三俣を出発したため、なんと朝の7時頃に双六に着いたという。この時間までずいぶん暇をこいていたのではないだろうか。
 外は相変わらず嵐だった。今夜は昨夜と違い、安心して眠る。

 13日(木)天気◎時々○ 曇っているが、一部青空も見える。今日も昨日のような天気だったら、新穂高温泉経由で徳沢に入ろうということだったが、槍を目指して西鎌を登る。
天気は次第に良くなっていくようだった。しかし槍の先端だけは、なんか見えそうで見えない。
 速いペースだったので11時前には槍の肩に登り着いてしまう。テントを張り、食堂でカレーライスを食べ腹拵えをし、槍の山頂を踏む。ガスの中で何も見えず、下る。
 夜テントの外に出てみると、すっかり晴れて星月夜に槍ガ岳が聳えていた。星月夜の槍を見たのは写真を含めても初めてだ。素晴らしい風景。ゴッホの名画「星月夜」の絵のような。

 15日(土)天気○ 早朝、まだ暗いうちに起きて槍の山頂を目指す。山頂は早朝から大混雑。記念撮影をしてさっさと下山しようとするが、さらに混雑してきてなかなか降りられない。
 そして槍沢を徳沢まで下る。雰囲気のよい徳沢に着きテントを張る。テントの申し込みに山荘まで行き申込用紙に記入するが、今日が何日だか分からなくなり小屋のおばさんに教えてもらう。
 晴れた緑いっぱいの徳沢で自由気分になり寛ぐ。
 日も西に傾き、夕食を食べ寝る。

 16日(日)天気○ 早朝テントを撤収し、上高地に急ぐ。夏の上高地に着くと清里もどきの観光客でいっぱいである。タクシーで松本駅に向かう。
 松本ではホースマン森氏の案内で温泉に入りに行く。しかしこんな所よく知っているなと感心した。
 この温泉では食事もできる、ちょうどお昼だったので昼食を執る。
 帰りの西日さす特急「あずさ号」の中でホースマン森氏が呟いた。
「あー、オレの夏休みは終わった・・・」
 なんか感慨深いものがあった。自分もこの8日間が、アッという間に過ぎてしまったような、一週間をワープしてしまったような感じであった。 そして明日からまたいつもの生活が始まる。



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