山 登 り は 伝 染 る ん で す ( 尾 瀬 )

 
  6月12〜14日
 山登りは伝染する伝染病である。一度発病すれば、よほどの事がない限り一生涯治すことはできない。アウトドアや自然に興味を示し出してきたら、その人はもうすでに山登り菌に感染しているキャリアなのだ。このキャリアを一度山登りに連れて行くと、まちがいなく発病してしまう。その症状は、発病初期が最も顕著のようである。そして、次から次へと感染していくのである。
 友人に、ヴァッカス藤川というのがいる。この人物、エコロジーとか自然問題にけっこう関心を持っていた。おいらは、ヴァッカス藤川を山登りに誘った。すると直ぐOKの返事だった。 そして、ある年3月23日、雪の降る蓼科山へ彼と登った。ヴァッカス藤川は山登りは初めてであって、ましてや雪山は。とりあえずは登山靴と6本歯アイゼンを購入してもらい、ストックを貸してやった。雨具は本人のバイク用のもの。しかしこの雨具が曲者で、安物の使い古したやつだったため、雪の上で何度も転んで、びしょ濡れになってしまった。ヴァッカス藤川は翌日、熱がでた。
そして、ヴァッカス藤川はこんな悲惨な山行にも拘らず、山登り伝染病を発病してしまった。彼は今、山の虜である。 彼は、彼の同じ職場のキャリアの女の人を誘って山に行った。そしてその女の人も発病してしまった。するとその女の人が、別の女の人を誘って山に行った。また病人が出た。
今この三人は、暇を見いだしては山登りばかりしている。山のど素人ばかりの三人組が、雪の八ヶ岳とかに登っているのだ。 昨年の秋、このイケイケ三人組が上高地から焼岳(*1)に登ったのであるが、10時ぐらいまで河童橋辺りで遊んでいて、そのうえ登山口が分からずうろうろしてしまい、焼岳小屋に着いたら午後の2時をまわっていたようだ。そこで山頂を踏むのは、さすがに考えたそうだが、誰かが危ない発言をした。
「そんなの行っちゃえば勝ちだよね」
その意味のあるのかないのかわかんない一言に彼等は勇気づけられ山頂を目指したそうだ。そして山頂を踏んで焼岳小屋まで帰ってきたら4時頃だった。そこで小屋のおっちゃんに「あんたら何をやってんだ、とっとと降りろ!」と怒られたそうである。上高地に降りたらもう真っ暗、バスはもうない。タクシーは何台かいたが、運ちゃんはみんな酒盛りをしていたという。無理やりお願いして乗せてもらうことになったが、マイカー規制のため釜トンネルの所の門がもうすでに閉まっているのだ。しかたがない。怪しい三人組は、真っ暗の国道を沢渡の駐車場まで延々と歩いた。
「あそこからけっこう距離あるよね、いくつトンネルを抜けたか・・・」
とヴァッカス藤川は言う。
危ない、無謀だから止めろと言っても彼等は登る。 しかし、この三人に菌をばらまいた大本はわたしだ。発病初期の頃が最も危険な時期であるので見守っていきたい。 この症例論文は今度、日本伝染病学会に発表の予定である。・・・というようなことがあるわけない。
 今回は、そのようなバンジー脇屋という人をメンバーに加え、尾瀬散策を行いました。他にメンバーは、現在GPTとGOT(*2)が少々高いホースマン森氏。そして私の三人。本当は荻原先生も参加予定でしたが、先週のハイキングで足を故障させてしまい、残念ですが参加できませんでした。
 旧国鉄お茶ノ水駅前に、金曜の夜23時に集合。23時というのは、少々遅い時間ではあるのだが、バンジー脇屋が大変お忙しいご様子で、この日はデナーパーチーとやらに御出席の為、23時にして欲しいということだった。 デナーパーチーというと、一流ホテルでということが多々である。ぼくら田舎もんが、ふだんやっていないことをたまにやると恥を掻く。  昨年、仕事の関係である無料のパーチーに誘われた。ホテルオークラでしかもロハだというので、「じゃあ行こうじゃないか」と誘い合って三人で行くことになった。我々は年に数回しかしないネクタイを付け、ビシッときめてタクシーでホテルオークラの正面玄関に乗りつける。するとホテルのボーイが、さっとやって来て「いらっしゃいませ」と車のドアを開けてくれる。おいらは大名にでもなったつもりでさっそうとタクシーを降りたのだが、そこで仲間の誰かが周りの人達にも聞こえるぐらいの声で言う。
「一人二百円ね、二百円」
 と。・・・あとにしろよ、あとに!・・・勘弁して。・・・恥ずかしいっ。  やっぱりぼくらは尾久村の下町の下層階級の田舎もんだった。そのうえ会場の受付にいってみると、なんと無料だといってた会費が四千円だと言う。あっ騙された。「話が違うじゃないか。こんなパーチー二度と来てやらないぞ。これからは便所に入るときは紙があるかどうかよーく確かめてから入るんだなァ!」と捨てゼリフを残してぼくたちは帰った、ということはなく、おとなしく四千円を払ってパーチーに参加することになってしまいました。でもちょっと悔しかったので。
「カードは使えますか、カードは」
 とJCBのカードをわざと出してやったら。
「カードは駄目です。現金でお願いします」
 と受付のルンルン嬢にあっさり言われてしまう。
 それから二次会のほうは本当に無料で、しかも、おかまショーがあるというのでミーハーっぽく参加してしまった。本当にぼくらは田舎もんまるだしでした。やっぱりおいらは山登りのほうが好きだ。

 御茶ノ水を出発した車は深夜の関越を走る。途中PAで小休止し、飲料水の補給をしようとしたが、それらしきものがなく、仕方なく便所の水を汲みに行ったホースマン森氏とバンジー脇屋であった。おいらの水筒の中には、ごきげんな「高原の岩清水&レモン」をぶちこんでおいたので、便所の水は飲まなくても済んだ。ちなみに「はちみつレモン」でもよろしいかと・・・。
 ある雪山山行で、一人がポリタンにポカリスエットを入れて来て、別の人から「食糧用の水はどうするんだ。自分だけの水じゃないんだぞ」と、ご指導とご鞭撻を承っていたようであるが。しかしこういう水の入手が困難なとき時は仕方がないとしても、水場のある幕営地とか通常の山行の時は、只の水よりかは糖分やビタミンの入ったジュースの方がよっぽど良いのは明らかである。昔の体育会系の人のなかには、いまだに水分を摂るとかえって疲れるという迷信を信じている人や、直ぐ水分を摂るのは根性がないとか分けのわからんことをいう連中もいるが、水分を摂らないと脱水症状で取り返しのつかない状態になってしまう。汗をかいて喉が渇いたら十分に水分を補給しよう。
「脱水症状の子供に只の水を飲ますより、ポカリスエット系の水を飲ましたほうが回復症状がよっぽど良い」と、ある医科大学小児科助教授も言っていた。
 また二日酔いにも結構良いらしく、「あー二日酔いだ」とポカリスエット系の点滴を自分にうっている医者もいるという。  ただし、炭酸系の飲み物はいけません。一度グランテトラの密栓式の水筒に炭酸飲料をぶちこんで、ためしに山に登ったことがあったが、途中で蓋を開けたら物凄い音をたてて爆発をした。成田空港建設反対の中核派のテロ爆破かと思った。

 午前三時、戸倉の駐車場に着く。森氏のデリカバンで、しばしの仮眠。
 早朝外が騒がしいので目を覚まし、車のカーテンを開けてみると、人が沢山ずらーっと並んでバスに乗るのを待っていた。やはりシーズン中の尾瀬は人が多すぎる。我らも急いで支度をし、その列に並んだ。そしてやっとの事でバスに乗り、鳩待峠に着き朝食を食べ、いよいよ尾瀬ガ原に下山する。どこの観光地にでもいるような旗を持った添乗員が30人はいるかと思われる団体を連れて歩いている。ポシェットだけの軽装者もいる。ほんま、集団登山はご遠慮願いたい。大迷惑。
尾瀬ガ原に下ると今まで曇っていた空が晴れてきた。至仏山や燧ガ岳も見える。カッコウの声が心地よい。花が沢山咲いて、一面お花畑。特に小さな黄色のリュウキンカが可愛くてきれいだ。池溏と浮島の大湿原を爽やかな風が吹く。新緑の木々と草。イワツバメも楽しそうに飛び回る。気分は最高に良い。その中を私たちは、竜宮十字路からヨッピ橋を経て東電小屋へ。
 途中、小川に架かる橋の上から小川を覗くと、コインが沢山投げ込まれていた。こんなことをするのはやめていただきたい!
 東電小屋まで来て、ぼくとホースマン森氏は大型写真機材一式のうえ、テント食糧等を担いで木道を歩いていたため、足の裏が結構疲れてきたので、最初予定していた三条ノ滝へ行くのは無理かなァ。などと口走った。するとバンジー脇屋が寂しそうな声で言う。
「えー三条ノ滝まで行けないんですか」
 その言葉を聞いたぼくとホースマン森氏は、これは何がなんでも行かなくてはという気持ちになり。
「いや、行けますよ」
 と、早々と三条ノ滝に向かう。そして温泉小屋に荷物をデポって三条ノ滝を往復し、リュウキンカの咲くお花畑の中を見晴しのキャンプ場に向かう。
 見晴らしのキャンプ場には15時に着き、テントを張り、夜の餌を作る。適当なおいらとバンジー脇屋は、こんな所まできてキャベツなんか洗わなくてもいいや。なんて言っても、几帳面なホースマン森氏がキャベツを洗いに行く。
 デザートの杏仁豆腐&みつ豆はごきげんです。甘党の私にはこれは欠かせない。
 今日の仕事はとりあえず全て終わったが、6月は日が長くまだまだ明るい。おいらは黄昏の下田代を散歩したい。ホースマン森氏は昨日あまり寝ていないので早く寝たい。バンジー脇屋は、言わないがきっといつものように宴を楽しみたかったのだろう。しかしさっきもいったように森教授は現在GPTが高く、医者から禁酒命令を受けている。おいらも一人で散歩に行っても仕方ない。とりあえずテントの中に入り雑談をする。そのうち雑談が怪談となり、バンジー脇屋が怖がりだす。そうなるとかえって面白いもので、怪談話はなかなか尽きない。
 キャンプ場はテント村になっていた。中には夜遅くまで騒ぎまくるところもあるだろうと思ったが、以外とみんな静かであった。まさかどこもうちみたいに怪談話をしていたのではないだろうな。
 今日はホースマン森氏の希望どうり早めに寝る事にした。が、こういう夜のテント村を見ると、少年の頃にボーイスカウトでよく行ったキャンプを思い出し、キャンプファイヤーなんぞしたくなるのだが、尾瀬でキャンプファイヤーをすると罰金もんですから気を付けましょう。
 夜のキャンプ場というと、13日の金曜日のジェイソンであるが、尾瀬にはジェイソンはいないのだろうか。ちなみにバンジー脇屋は13日の金曜日生まれだそうである。 しかし夜のキャンプ場は、やはりなんだかワクワク興奮するものがある。夜の散歩に出かけたかったのだが、一人で行っても迷惑か? 尾瀬の星空を眺めて寝る。
 翌14日朝、テントから顔を出すと今日も天気が良さそうだ。昨日、気象通報を聞くと、尾瀬の周りはみんな曇っていたり雨が降ったりしているのに尾瀬だけは晴れていた。これはやはり日頃の行ないが、ごっついええからかな。それとも尾瀬に対する愛情の大きさか。ぼくは尾瀬の自然が大好きです、愛しています。その愛に、尾瀬の自然は優しく応えてくれたのかな。その証拠に尾瀬に来たのはこれで四回目であるが、四回とも全て晴れた。尾瀬に行く時はおいらを連れていくと晴れるけんね。 起きて朝の餌を作る。別にめでたい事はなにもないのだが、赤飯と野菜スープである。赤飯といってもアルファ米であるが、最近のアルファ米には結構いけるのもある。少なくとも、尾久村の人民食堂の弁当の御飯よりかは旨い。我々はこの弁当のことを、人民弁当と呼んでいる。(四00円)
 テントを撤収し、名残惜しく尾瀬ガ原を後にして、尾瀬沼に向かう。途中の道にも花が至る所に咲いている。バンジー脇屋が熱心に写真を撮っている。沼の少し手前の田代には、ショウジョウバカマとタテヤマリンドウが入り交じって一面に咲き乱れ、池溏と新緑との組み合わせが素晴らしい。まさに素晴らしき自然を満喫する。 林を抜けて視界がひらけると尾瀬沼にでた。燧ヶ岳の山頂が良く見える。私たちは沼の北岸を周り長藏小屋に向かう。尾瀬ガ原より尾瀬沼の方が標高が高いせいか、こちらの水芭蕉が綺麗に咲いていた。長藏小屋に着き、ビジターセンターなどを見学し、記念撮影をして、尾瀬沼に別れを告げて、三平峠を越えて大清水に向かう。途中より林道歩きとなる。ホースマン森氏とおいらは、足の裏がけっこう疲れていた。広い林道だったので、二人は後ろ向きに歩く。これが違う筋肉を使うのでけっこう楽なのだ。それを見ていたバンジー脇屋が笑っている。後で聞くと、ちびまるこちゃんがハイキングに行ったとき、疲れたと後ろ向きに歩いていたのを思い出したそうだ。
 帰路は金精峠を越えて、奥日光戦場ヶ原を見学して、東北自動車道で帰る。この尾瀬から日光にぬけるコースを、最近ではロマンチック街道というそうである。南ドイツにあるロマンチック街道を真似てつけたようだが、何の関連があるのかよく分からない。  奥日光といえば日本を代表する観光地であるから、関東人なら一度や二度は必ず来ている筈だと思っていたのだが、千葉兼出身のバンジー脇屋は来たことがないという。しかしこの人、去年行った社員旅行の場所も覚えていないようであるから、けっこう信用できない。


*1 焼岳は火口への立入りが禁止されていたが、90年11月20日、28年ぶりに規制解除となり山頂へ登れるようになった。しかし活火山の為、またいつ噴火して登山禁止となり、何十年も登れなくなるかも分からない。いま登れる時に登っておきましょうという山である。しかし、登山口が分かりにくいので注意して下さい。
*2 GPT、GOTは種々の臓器に存在する酵素で、とくに肝臓に多く存在するため、肝臓機能の目安にすることが多い。正常では血液中には低いが、肝臓などに障害や破壊が起こると血液中に遊離し、この値が高くなる。また、通常はGOTの値がGPTよりも高いのだが、逆にGPTのほうが高くなると、さらに肝臓機能の悪化が考えられます。症状的には、ちょっとした事で身体が疲れやすくなりますので、登山などの激しい運動は無理でしょう。このような時には、栄養と休養を十分にとって摂生して下さい。酒などのアルコール類は肝臓の大敵で、GPTの値を直ぐ上げますから絶対いけません。正常な人でも、お酒を飲み過ぎるとGPTが高くなりますから、山登りを永く続づけたい人は、お酒は控え目に。