続 ・ 山 登 り は 伝 染 ん で す ( 立 山 )

 
  6月19〜21日
 私が最初に山登りをやったのは、たぶん保育園の頃だと思う。母と、いとこと、その母さんの四人で、近所の山にお弁当を持ってよく登っていた記憶があるし、その時の白黒写真が残っている。この頃は、おいらの田舎ではまだ蒸気機関車が走っていた。70年代の始め頃まで蒸気機関車が走っていて、この列車でいろんな所へ行った。トンネルに入ると窓を慌ててみんな閉める。でないと、煤が入ってきて着ているものが真っ黒に汚れてしまう。夏の暑い時にトンネルの多い山道なんかを走る時は開けたり閉めたりで大変だ。もちろんクーラーなんぞある分けない。しかし、都でこんな話をすると、貴重な体験をしていると逆にうらやましがられる。そのうえおいらは、当時国鉄の機関士に知り合いの人がいて、運転室にも乗せてもらっているのだから大変ラッキーだったのかもしれない。
 それから小学校に入り、山には登る機会はなかったようだが四年生の時、よく遊んでいた年上のいとこに連れられて、いつものように遊びに行った。するとそこはボーイスカウトの集会場だった。そして気が付いたら、いつの間にかボーイスカウトの隊員になっていた。この隊は市内の第五団というから、市内には他にも何団かあるのかなと思っても、これ一つしかない。というのは、他の隊は、隊長さんなどの世話人がいなくなり、全て潰れてしまったようだ。だから第五団でも一つしかないのだ。
 おいらはこのボーイスカウトでまたアウトドアを色々と楽しむことになった。しかしどこのボーイスカウトでも同じだろうが、ただ一つだけ嫌だったのが、異様に集団行動を好む風潮である。これを好んでやっている人は必ずといっていいぐらい自衛隊に就職している。おいらはただアウトドアライフを楽しむだけであった。
 また、そこは海岸線にあり、海洋少年団というものもいた。集会などは、お互いお宮や、公園ですることが多く、たまたま同じ場所になると少年達は、なぜかけん制し合うのである。ときには、
「アホーッ!」とか、「いねーっ!」とか、「ボケー!」
 などと、なぜかかなり遠く離れたところから言い合ったりしていた。
集団的ライバル意識的心理とでもいうのか。戦争というものもこういったことから起きているのだろうか。民族対立、宗教対立.......。

 今回の立山へは、再び伝染るんですのバンジー脇屋と、テポドン池ヶ谷ねーさんと、わたしの三人で縦走してきました。  例のごとく旧国鉄お茶ノ水駅交番前に19時30分に集まり、代官町より首都高速経由で中央フリーウェイに入る。右に見える競馬場、左はビール工場、この道はまるで滑走路、夜空に続づく。・・・どっかで聞いた様な・・・。  しかし、夜の中央フリーウェイを松任谷由実の曲ではなく、バンジー脇屋がセレクトしてくれたブラームスの交響曲を聞きながら走る。何故かブラームスなのである。ブラームスの交響曲とはお洒落なのだが、山に登る前の曲にしては少々重い・・・。山に登る前にぴったりなのが、R・シュトラウスのアルプス交響曲かいな? 登山の様子がちくいち描写されていて、登山意欲をそそられる。登山愛好者には一聴の価値あるかもよ。また、登山前にヘヴィメタのギンギンのやつを聞いて、元気が出てリズム感もよくなり、登山に望むという、おつなことをするのも好きである。
 途中、諏訪湖SAで食事と休憩。昼間近くで見ると汚い諏訪湖も、夜こうして高台から見るとなかなか綺麗である。
 東京を早い時間に出発したため、ゆっくり(54ノット以下)のスピードで走っても、目的地の梓川SAには0時前に着いた。そこで目立たない静かな場所の芝生の上にテントを張る。夏休みシーズン中は、バイクツーリング野郎達がよくSAでテントを張っているのを見かけるが、この時期はまだテントを張っているものは誰もいなかった。SAでテントを張ってもよいと聞いたことはないが、いけないという看板なども見たこともない。芝生の上はマットがなくても寝心地は良く、ぐっすり寝むる。やはり北アルプスに登る前夜は十分睡眠をとるべきです。夜行列車で北アルプスに登る場合は、結局一睡もせず一日目の急登を登らなくてはならないので嫌なのだ。夜行列車で平気でぐっすり寝れる人間がうらやましいし、信じられない。

 翌20日、4時起床。安曇野の爽やかな空気を胸一杯に深呼吸。誰にも気づかれないうちにテントをさっさと撤収する。 なんか爽やかな音楽が流れるSA館内で洗面等を済まし、休憩所で熱くて渋いサービス茶を啜りながら、軽く朝食。
 5時過ぎに出発。朝らしいイ・ムジチ合奏団のヴィヴァルディの四季を聞きながら豊科ICで降り、セブンイレブンで新鮮な行動食を購入して、扇沢に向かう。
 天気は良くて安曇野からは、常念岳から五竜岳まで、残雪の北アルプスの山々が良く見えた。中でも三つのピークをもつ爺ガ岳が真正面に立派に見え、それに見とれていて赤信号に気づくのが遅くなり、いわゆる信号無視というかたちで突っ込んでしまい、二人を驚愕させてしまったりもした。
 扇沢駅に着き、身支度をして、朝一番のトローリーバスに乗る列に並ぶ。これより室堂までは、立山黒部アルペンルートで観光旅行気分だ。
 トローリーバスで長いトンネルを抜けると黒部湖に出た。くろよんダムの上から下を覗くと、かなり高度があった。そこでわたしは、なんか子供みたいにストックをバトンのようにぐるぐる回しながらダムの上を歩いていたバンジー脇屋に、是非ともこのダムの上からバンジージャンプをしてもらいたかったのだが・・・。
.....というのもこのおねえさん、二年前にニュージーランドでバンジージャンプをしているのだ。ええ根性しとるなー。八千円払ってやったというが、そんなもん10万円貰ってもする気にはならない。百万円なら考えてもええかのう・・・。それにこのおねえさんは元サーファーで、毎週のように波乗りに行っていたというからまた驚いてしまう。そして今は毎週のようにお山登りをしている山ヤをやっている。次は何になるのだろうか。
 黒部湖よりケーブルカーで黒部平まで登る。乗り口で、荷物10キロ以上は手荷物料が徴収される。はかりに載せなくても10キロ以上あるのは見れば直ぐ分かるが、とりあえず載せて手荷物料四百円を払う。しかし、おねえさま達がはかりの上にザックを載せようとしたら駅職員が、
「女性の方はいいですよ」
 だって!?なんやこのおっさんは!!
 黒部平からはタンボ平の新緑と立山の展望が素晴らしい。秋にはここは紅葉がものすごく素晴らしい所である。そのタンボ平の上を、ロープウェイで大観望へ登る。そのロープウェイには、OLボディコンもどきのねーちゃんのグループも乗り込んでいた。そんな格好で神聖なる北アルプスに入ってくるんかいっ!。まるでバイリンギャルってかんじ。バイリンガルじゃないですよ!
「バイリンギャル」とは、梅毒や淋病などの性病に侵されているギャルのことをいう。某大学病院の耳鼻咽喉科の某医者は、それらのギャルのことをそれぞれ、ウメウメちゃん、リンリンちゃんなどと親しみを込めてそう呼んでいる。
 大観望からは、野口五郎岳から唐松岳まで見渡せる。そこから今度はトンネルバスで室堂に出て、ここからいよいよ登山を始めることになる。食事をしてカロリーの補給をし、登る準備をする。天気が良く、雪の上を歩くことになるので、日焼け止めクリームをみんなで塗り塗り。昔は日焼けは健康のシンボルかのように誤った考え方がはびこっていましたが、日焼けはやけどと同じ、しかも紫外線などにより、皮膚癌等にもなりやすいので要注意が必要なのです。 おいらも、皮膚科の日焼け専門の医師から貰ったクリスチャンディオールのとっておきの日焼け止めクリームを塗る。バンジー脇屋おねえさまは、このクリスチャンディオールのクリームも加え、二重三重にも塗り塗りなされて、真っ白なお顔になっていらっしゃいました。
 軽アイゼンを付け、一ノ越まで登る。春スキーをするスキーヤー達が、50人ぐらいの大集団で登っていた。それを追い越し、一ノ越へあっけなく登り着いてしまう。 一ノ越山荘で一本とっていたら、下からガスがどんどん登ってきて、山頂が見えなくなる。今まで晴天だったのが一転して雲ってしまった。これはきっと、さっきのいかにも日頃の行いの悪そーなスキーヤー達が登ってきたからだろう。いくら私たち三人が日頃の行いが良くても、50人という大集団にはどうしようもない。そして、雄山の山頂に着いたときには大きなひょうまで降ってきた。しかし富山県側はなんとかまだ晴れていたので、室堂と大日岳の迫力ある展望は得られた。
 三〇〇三メートルの頂上の祠にバンジー脇屋が、両手を合わせて何かお願い事をしていたので、
「何をお願いしたんですか」
 と聞くと、
「無事下山できますようにって」
 と、わりと普通な答えだった。おいらは、バンジー脇屋のことだから「今度ここからバンジージャンプができますように」とか、笑らかしてくれるような答えを期待して聞いたのだが。
 そしてひょうの降り続く三千メートルの稜線を縦走する。そして縦走気分を味わう間もなく、あっけなく立山の最高峰の大汝山三〇一五メートルに着いてしまう。山頂の一番高い所に大きな岩があって、その上がもちろん一番高い所である。そしてこの岩の一番高い所に立った! その時である、直ぐ真横で雷が鳴り光った。おいらは手に持っていた金属製のピッケルに電気が走るのを覚えた。あれっ!岩の上にいたバンジー脇屋がいない!何処へ行ったんだろう。雷様に連れて行かれたかな、と思ったら岩の向こう側で怯んでいた。その岩がなんか、ジュージューいっている。電気が充電されていたようだ。しかし命拾いをしたというやつかも。さっき雄山の山頂でバンジー脇屋が「無事下山できますように」と拝んでおいてくれたのが利いたのかも。
 降っていたひょうもいつの間にか雪に変わっていた。雷も直ぐ真横でなっている。六月だというのに新雪の積もった稜線を私達は剣御前小屋へ急ぐ。途中、雷鳥の夫婦と遭遇する。「グゥエログゥエロ」と蛙のような鳴き方をする。
 そろそろ縦走に飽きてきた頃小屋に着く。宿泊手続きを済ませ、直ぐ乾燥室に入り、濡れた衣服及びザックまるごとを乾かす。この時期はまだ登山者も少なく、宿泊部屋の11号室は定員14名の所にたった三人なので、何か寒々しい。しかし布団と毛布は使い放題だ。私達は小屋の談話室兼食堂のストーブの前で食事の前の一時を過ごす。
 そんな時小屋のおっちゃんが、
「剣が見えますよ」
 と言う。私達はカメラを持って小屋の外に出た。  雪をかぶった剣岳が見事に目の前に聳えていた。雪が降ったからこそ、こうゆう雪の剣岳を見ることができたんだ。と、物事は良いほうに考えたほうが良い。それに、六月に雪が降るなんてそう滅多にあることではないと小屋の人も言っていたので、貴重な体験もできたんだ。  白馬や五竜などの後立山連峰も見える、富山市街の方も夕焼けに赤く染まる。きっと先程のスキーヤー達が下山したから晴れてきたんだろう。
 食事を済ませ部屋に戻る。すると二人がもう布団を敷き始めていた。そして外はまだ明るいのにもう寝る準備はすっかりできてしまった。山の生活は、早寝早起きが鉄則ではあるが、少々早すぎる。これではまるで弥生時代の人間だ。しかし二人はどうやら寒いから布団を敷いたみたいだ。「これぐらいの寒さで布団を敷いてしまうとは、貴様らそれでも日本軍人かーっ!」などと分けのわかんないことを思いつつ、自分もすっかり布団にくるまってしまうのであった。

 翌21日、朝起きると小雪が降っていた。昨日、バンジー脇屋が必死こいて作った「てるてる坊主」も効きめはなかった。
「先々週、鳳凰山で松本くんと作ったときは効いたのに」
 と、バンジー脇屋。
「それは脇屋さんの作ったてるてる坊主じゃなくて、松本くんの作ったてるてる坊主が効いたんでしょう」  と言うと、
「松本くんが作ったのはあんまり可愛くなかったのに」
 と言う。しかしそういうものは、醜い方がなんでも結構効くものだ。
 朝食を済ませたら直ぐ小屋を出発するのが通常だが、どの登山者も小屋を出ようとはしない。  さて、そこで問題です。なぜみんな小屋を出ようとしなかったのでしょうか。
 そして九時過、私達はようやく小屋を出て室堂へ下山する。こんな時間まで小屋にいたのは初めてだ。雷鳥沢の雪渓を楽しく下る。
 そして室堂に降りた私達はミクリガ池温泉に入る。朝っぱらから温泉に入り、とてもごきげんであったが、これから都まで帰る事を考えるとなんか気分が疲れた。温泉入浴は最初予定にはなかったのだが、テポドン池ヶ谷ねーさんはシャンプーを装備していた! やはり下山後の温泉はお決まりごとでしょうか。
 温泉からあがるともうお昼だったので、おいらはうどんと残りの行動食を食べる。二人のおねえさまたちも、おでんと残りの行動食を食べる。ここは富山県、関西圏であることを、おいらはうどんを食べて実感した。美味しかったのだ。おいらは関東のうどんのまずさには許すことができない。麺に全くこしがなく、噛むとヌルッとして気持ち悪く、スープはだしがでてんのかどうかわかんないような醤油をぶち込み、ドロドロしてまずくてたまらん。関東では「うどんとそばどちらが好きか。うどんなんか食う奴はまぬけだ」なんていうそうだが、ぼくにいわせれば「こんなうどんやそばを食うとる関東人はものごっつい大ボケじゃ」となる。そこまでいうか。と言われても、まずいものはまずい。ぼくはいつでもどこでも美味しいうどんが食べたいだけなのだ。唯一食べられるところといえば高速道路のPAなどでたまに美味しいうどんがある。早池峰山に行った帰り、安達太良SAで食べたうどんは美味しかった。たしかに関西風うどんでした。あと一番許せないのが、関東で「讃岐うどん」とか「関西風うどん」とかの偽りの看板を出している店!これらの店に入って食べてみると、ほとんどが、ただスープが薄いだけのダシの出ていない不味いうどんなのだ。これはあくまで関東人がイメージする関西風うどんであって、関西のうどんではない。その証拠に関東の人はよく「関西のうどんは薄い」というが、決して薄くはなく、むしろダシが凄く濃く、味が濃いのは関西うどんである。関東東北のうどんは濃いのではなく、薄くて辛いのだ。 近所に「讃岐で修行してきましたー!」という看板のうどん屋があるけど、食べてがっかり、ほんまかいな、何処で修行してきたって? これのどこが讃岐うどんじゃ、ええかげんにしいや・・・。
 うどんを食べ温泉を出発。また観光客に混じって黒部立山アルペンルートを行く。普通の格好をした観光客が、物々しい格好をした私達を物珍しげに見る。
 また黒部ダムの上を歩いているとき、バンジー脇屋にバンジージャンプをお願いするが、やってくれそうにもない。しかしこんな所で本当にバンジージャンプなんかしたら、関西電力のおっさんに怒られまくるだろうな。明日の信濃毎日新聞のトップ記事になってしまう。
「無謀!なんと、黒部ダムからバンジージャンプ!」
とかのみだしで。。