冬の天狗岳

 
 2月中旬
 今回の八ヶ岳も深く印象に残る山行となりました。もちろん良い方で。何が良かったかというと、今までの山行の中でアフター登山が一番良かった山行となりました。普通、アフタースキーを楽しむというのはありますが、アフター登山というのはあまり聞きません。私の知人に「ラ・フィンタセンプリーチェ・よう子」という、ごっついミーハーな人がいます。ラ・フィンタ・・・とはイタリア語で、「見てくれの馬鹿娘」というような意味です。私達は普段、彼女のことを「ラフィンタさん」と呼んでいます。もちろん本人はその意味を知りません。と言いたいとこですが、意味を教えてあげたので知っています。でもこの人は、ノリがいいので怒ったりしません。で、この人が言っていた。
「私はスキーはあんまし興味ないの、アフタースキーが楽しみだからスキーに行くの」
と。ウソー。と思いつつも、さすがラ・フィンタさんだなと感心しました。それからこのラフィンタさんは、実はハマっ子なんです。ハマっ子といっても横浜じゃなくて、足立区鹿浜のハマっ子なんです。“アダチのヨーコシカハマアラカワ”です。それから、「ユンボー田村」などという人もいます。ユンボーとは、いわずと知れた工事現場には欠かす事のできないあの掘削機のことですが、もちろん女子プロレスのダンプ松本とかブル中野、クレーン・・・とかいうところからきているのですが。でも「ユンボー田村」はこの際関係ないので、話を八ヶ岳に戻します。
 さて、夜の新宿駅のホームにザックを背負ってやって来ました。最近なにかとあってしばらく山から遠のいていただけに、今回の山行をとても楽しみにしておりました。当初より山行にお誘い下さいました某電機メーカ販売社のセレンゲティ倉田先生には厚く御礼申し上げます。
 今回は少し多めの7人パーティです。しかし深夜の旧国鉄中央本線の列車の中は静かでした。
この時期に山に登る人はまだ少ないが、夏になるとホームに列が連なるほどに登山者が増える。夏は多少渋滞しても車の方がいい。
深夜と早朝の境目ぐらいの時間に小淵沢駅に到着。ホームの小屋で仮眠。
 翌朝、朝一の小海線に乗り変え松原湖へ。次第に東の空が明るくなりはじめ、真っ白の八ヶ岳が眩しく染まります。今日は快晴です。久々の雪山です。快調に登り始めました。
 ミドリ池で小一時間も休憩したでしょうか、マイナス14度という気温ではありましたが、明るい太陽に照らされて、暖かな、日向ぼっこをしているような穏やかな休憩となりました。それから本沢温泉小屋にはまもなくで到着しました。テントを設営して、露天風呂に行きました。危険なところにあり、濡れた体でマイナス14度は寒かったのですが、なかなか良いんじゃないでしょうか。
 セレンゲティ倉田先生は露天風呂で記念撮影をするのが何故かお気に入りのようです。以前も新穂高温泉でいっぱいお写真を撮っていました。。 それも「バカチョンカメラ」ではなく、高級一眼レフカメラで!
ちなみにバカちょんカメラのことを関西では、「アホぼけカメラ」という。・・・ウソである。
 ところで、ある山である知らない人が、フィルムの入れ方が分からないから入れて欲しいと、バカちょんカメラと新品フィルムを差し出しました。私もカメラ屋のオヤジじゃないので良く分からなかったのですが、適当にフィルムを入れてボタンを押しまくっていたら、突然「ジーーーッ」とかいって、どうやら未だ一枚も撮影していないフィルムをパトローネの中に巻き戻してしまったようですな。。! ヤバイ・・。だから分からないといったじゃない。 私は「ダメですよこのカメラ」と言ってとっととその場をバックレた。
 それから、「カメラが一台欲しいんだけど、最近でなんかいいカメラある?」とかも良く聞かれますが、私はヨドバシカメラのオヤジじゃないので、最近のハイテク電気仕掛けのカメラなんか知りません。そんな時はいつも自分がいいと思っているカメラを言う。アルカスイス、ハッセルブラッド50Oシリーズ,リンホフテヒニカ、タチハラ・フィールドウッド8×10、・・など。どれも電気を一切使わなくても撮れるの・・・、ごきげんです。
 さて、それから八ヶ岳での夜はいつものように食事をして雑談後、テントの中で一夜を明かす。テントの中での一時いつも思うことですが、ラジウスのあの「ジャーーッ」ていう音、あの音喧しいんだけど、話し声にかぶって煩いんですけど、どうにかならんのかな。それに臭いし・・・。

 二日目、まだ暗いうちにテントを撤収して天狗岳を目指しました。雪はごっつー降り積もっていました。天狗岳の山頂は冷たい風が吹きまくっていました。この山頂へは、三度目の登頂になりますが、いつもガスってまだ何も見ていません。八ヶ岳よりも飛騨山脈の方が好きだから、山がやきもちを妬いているのか・・・!?
そうなんです、山には色々な妖精たちが棲んでいるのです。それから山ん婆や妖怪なども棲んでいて、人を誑かしたり化かしたりもします。
・・・ある夏の黒部川源流付近の沢のとこでした。誰かが沢の中でぶつくさ言いながら小豆を洗っていました。良く聞くと「小豆とぎやしょうか、それとも人取って食いやしょうか、シャキシャキ」などと言っていた。どうやら黒部川源流には妖怪「小豆とぎ」がいるよです・・・。
 さて、山頂から黒百合山荘までは、楽しい雪山下りでした。それからあっけなく渋ノ湯に下山してしまいました。渋ノ湯といえば、以前の山行のとき、私達はここのおばはんにコケにされたことがあるのを思い出す。あのおばはんの顔は今でも忘れていない。なんとまだ生きていやがった。そのうち若いモンをお礼参りに来させようか、それとも放課後体育館の裏に呼び出してやろうか・・・。
放課後体育館の裏といえば高校の時、友達と屋上の陽の当たる場所で怯んでいたら、これもんのバリバリのツッパリねーちゃんがやって来て、
「今日、放課後体育館の裏まで一人で来い、来んかったらこらえへんぞ」
と、私じゃなくて友達が呼び出された。私は聞いた「お前なにしたんな」。
彼は「なんもしてへんて!」と焦っていた。そして放課後、彼は体育館の裏へ一人で行きました。そして間もなく彼は真剣な顔をして戻って来た。私は聞いた、
「どないした!」。
彼は言った。
「好きやからって、手紙を渡されてもた....」
・・ゲゲッ、ずっこけ、大笑いでした。彼も青春時代のひとコマにいい思い出を残したものです。・・・だいたい彼も変わった人間で、尊敬する人は山鹿素行だとかいう。「や、やまがそこうって日本史で名前は聞いたことあるけど、いったい誰なそれは?」
・・・変わっているといえば、小・中・高校の時の校訓も変だった。
小学校の校訓が「赤鬼」「青鬼」「黄鬼」の三つで。
中学校が「革命」「粛正」「愛国」で。
高校が「長寿」「極楽」「往生」だったのだ!。。
・・・・どんな学校の校訓じゃそれは!.....
 しかし渋ノ湯の温泉のシャワーとカランもふざけやがっている。いきなり熱くなったり冷たくなったりで、いっこうに適温にならない上、湯が突然ストライキを起こして出なくなる。アカデミー雨宮氏がシャンプー&石鹸で泡だらけになって、さあ湯で流そうとしていたところ、いきなし湯が出なくなり難儀していました。 ・・・おんどれ、そのうちヒットマンがお礼参りに来たるけんのう、渋ノ湯っー、覚悟しとかんかい。
 私達はタクシーで渋ノ湯を後にし、茅野駅に向かいました。そして茅野の町はなんと大雪でした。それは茅野だけでなく、実は日本列島全部が大雪だったのです。雪に強い中央線もタジタジになっていました。とりあえず駅前のレストランで食事をし、今後の対策をだらだらと検討しました。明日もまだ休日でしたので、茅野でもう一泊していこうという案が浮上してまいりました。
 ということで、茅野旅館に素泊まりすることになった。でもこの旅館、わりと安く泊まれた。こういう所はきっと何かある。多分この部屋で過去に何かあったんだよ。とかの話になると決まって「止めなさい」となるのがコルホーズ荻原やバンジー脇屋である。
「止めなさい」といえば、重い登山靴でカッポカッポと地面を擦って歩く人がいますが、止めて欲しい。地球が磨り減るので。。。それから地球でタバコを吸うのは止めなさい、火を燃やすことでCO2 が増えてオゾン層が破壊されるから。。。考えよう、エコロジー。。。
 さて茅野旅館の部屋で一休みして、さっきセレンゲティ倉田先生がチェックをいれておいた「関西風お好み焼き屋」という店に夕食をとりに、私達は雪の茅野の街にくりだしたのでした。 都に来たばかりの頃、お好み焼き屋といえば「小学生の頃友達とよく食べにいったものです。」とかいうと、小学生の頃からお好み焼き屋なんか子供だけで行ってたって、不良だったのか。とかいわれて、???なんで子供がお好み焼き屋にいくと不良なんだ。と不思議に思ったことがあります。田舎ではお好み焼き屋といえばガキの溜まり場で、大人の方こそあまり来ないのです。すなわち、お好み焼きといえば子供のおやつなのです。それから、お好み焼きだけの夕食もあるとかいって驚かれたこともある。ということは都の人はお好み焼きをおかずにごはんをよそって食べるのだろうか。それはピザをおかずにごはんをよそって食べるのと同じノリで、よけい変ではないだろうか。それから都には「もんじゃ」というけったいなもんがあるのに感心した。食べるとけっこう美味しかった。ただし、食べ方がねちねちとみみっちい食べ方をするのが男らしくない。が、でも美味しい。 お気に入りのもんじゃ屋さんがある。下町風ですごく気さくなおいちゃんとおばちゃんが二人でやっていて、しかも安いんです。こんな雰囲気大阪のダウンタウンにはない、東京の下町にしかない。 大阪のダウンタウンで思い出したが、大阪のおばちゃんすごいなァやっぱし。なんでもねぎる。このまえ地下鉄御堂筋線の西中島南方駅の自動切符売り場でのことです。なんとこのおばちゃんは切符販売機に向かって
「今こまかいの持ってへんねェ、五十円まけてーな」
とやいやい言っていた。・・・・というのはウソである。が、でも本当にこんなおばちゃんがいてそうなのが大阪の街なのです。 えっ!、西中島南方はダウンタウンやないでぇ!ってか。。
 よく自分の故郷のことを隠したり、あまり話さず、冷たくあしらったり、わざと方言を忘れようとしている悲しい人がいるようですが、とても残念です。方言なんかは無形文化財ですから、絶対になくさないで欲しい。青森を旅していたとき、七戸のガソリンスタンドに立ち寄った時、おじさんが県外ナンバーの車の私に青森弁で話しかけてきてくれ、キャンディーや濡れティシュをくれた時はこのうえなく嬉しいものがあった。
知人で同じく青森をバイクで旅をしていた人がいて、青森県警の警察官に止められ、「どこさ行くの?」とか訊かれたので、
「久慈です」
と言ったら、
「えっ? 何処だって?」
と聞き直すものだから、
「岩手県の久慈市です」
と言い直したらその警察官は、
「それはクジじゃなくて、クズだよ、、クズス」 ・・・だそうです。青森県警の警察官殿、なかなか楽しい旅の思い出ありがとうだそうです。
 やっぱ方言はいいなとつくずく思いました。 だいたい自分の故郷を大事に思わないような人は、人間的に冷たい人間です。幼少の頃からさまざまとお世話になり成長していった思い出の地であるはずなのに。だから逆に、故郷を大事に思っている人は心の暖かい人ではないでしょうか。
 栃木出身の知り合いの人が銀座かどっかの高級寿司屋に連れて行かれて、寿司を醤油にべったりつけて食べようとしたところ、板前に「田舎もんが」といわれてバカにされたと憤慨していました。しかし本当にかわいそうなのは「井の中の蛙」のこの板さんです。月刊“田舎暮らし”でも読んで勉強してもらいたい。いくら高級寿司屋と肩書きだけ気取っても、臭い東京の水や空気で炊いたご飯に、漁れて数時間も経った魚で、しかも太陽の当たらない薄暗い汚い空気の中で食べてもしょうがない。磯部で自分で釣ったり潜ったりして捕った魚やサザエやアワビを、その場で醤油ぶっかけて焼いて食べる本当の美味しい食べ方を知らないんです。この板さんのような「都会もん」は。それから箸を使わず手で食べさせようとする不衛生さも問題です。最近は抗生物質が効かなくなった菌も多いんですよ。保険所にタレ込んだろか。ほんと格好だけ気取った中身のない江戸っ子がたまにいるから勘弁して欲しいです。
 蕎麦の食べ方で、タレを少しだけつけて、しかもほとんど噛まずに食べるというのもいけません。ゆっくりと良く噛んで食べましょうと幼稚園のテーチャーが教えてくれただろう!
 さて、腹拵えも終え、雪の降り積もった茅野駅前の酒屋でワインと漬物等を仕入れて、旅館に戻る。そしてセレンゲティ倉田先生の乾杯のご挨拶に続いて、夜中の(早朝の)3時頃まで御歓談は続いたのでありました。
 山に行ったときの写真をいくつか飾ってあります。それを見てよく言われます。「山男だったんですか」と。でも自分では山男とは思っていないので、「えっ、? あっしのことですかい、あっしはただの旅の通りすがりのもんですから、あっしにはなんのことやらてんでさっぱりで・・・」としらばっくれたくなります。私は子供の頃より海の近くで遊び育って来たので、山歴より海歴の方が長いのでむしろ山ヤよりも海ヤかも知れません。ボーイスカウトに入っていた頃、あちこちの海でよくキャンプなどしていました。当時のキャンプといえば重い布のテントに鉄のポールを布のキスリングザックで背負い、飯はマキ拾いから始まり石を集めて釜戸を作り飯盒でご飯を炊く。狐色に焼けたご飯はとても美味しい。最近田舎に帰った時、懐かしのボーイスカウトの様子を伺ってみた。すると、今はビーパル、夏山JOY風オートキャンプ&アウトドアで、今の子供はもう重い荷物を背負って歩いたりなんかしないという。だからといって、どこぞのジジイみたいに今の子供はどうだこうだと文句垂れなどしたくありません。古い考え方や慣習を固持するのは嫌いですから。それから、私は根性という野蛮人の言葉が嫌いである。根性じゃなくて努力しましょう。常にアヴァンギャルドな考えで行きましょう。時代が流れているのに昔はどうだったこうだったと言っているのは見苦しい。昔は昔今は今未来は未来。昔の山登りはこうだったから今の軟弱な山登りはなっとらん、とか言うのもアホみたい。昔のやり方が良いと思ったら自分でかってにそうすれば良いことで、他人に文句を垂れるのはおかしい。ただし横長のキスリングは登山道でのすれちがいで他人にぶつけて迷惑を懸けないようにして下さい。それから今は廃道になっているような道を、昔はあの道を登ったとか自慢したり、昔はどこどこ間を何日で縦走したとか、なんか山登りで競争でもしているようなことを言ったり分けわかんない。だいたい国体で山登りを競技にしているのはおかしい。という有識者の意見に賛成です。“偽善者は自然の中への立入りお断り”そんな事より花や樹木や石の様をなにげなく教えてくれるおっちゃんの方がよっぽど知的で自然を愛していると尊敬できる。自然を愛する気持ちのない人は山に立ち入るべきでない。自然を破壊する害虫に過ぎないのです。高山植物保護協会副会長の白籏史朗さんもそう言われてた。そういう人は海にも川にも立ち入るべきでない。町から出ちゃあいかん。まえに、八ヶ岳のお花畑で、どっかのワンゲルパーティーを見掛けた。「わーきれい」などと言っていた女子が、キャンディーの包みカスを土の中に埋めようとしていた。それを見ていた、お花畑など見向きもしない男子が「止めて、そーゆうことするのは」と注意をした。・・・違うんだな違うんだな君達。まだまだ若いな。男子は山にゴミを捨ててはいけないというコンピューターのようにただインプットされた学習した常識からそう注意したのだろう。それが違うんです。そんなターミネーターのような学習機能じゃなくて、本当に心から美しい自然を大切にする気持ちから、この自然を傷つけたくないという気持ちから、人が人を愛するような気持ちと同じような思いで自然を愛して、優しい気持ちで男子は注意して頂きたかった。女子にも、「わーきれい」のブリッ子じゃなくて、本当に心から自然を愛して頂きたい。そうすれば、その時学習した常識じゃなくて、とても愛する物を汚したくないという気持ちが本気で起き、とてもそういう行為は起きないだろう。ターミネーターはインプットさえ変えればどうにでもなってしまうから心配です。それに比べ人の愛は強いのです。・・・ほんまか?

 そして茅野の町は朝を向かえ、私達は「あずさ」で東京への帰路についたのでした。列車の中でセレンゲティ倉田先生がいきなしラーメンを食べに行こうとか言い出した。それにしてもラーメンの事に関してはセレンゲティ倉田先生は本当に先生である。とにかく先生であり、ゲージュツ家なのだ。だいたい巣鴨の千石自慢ラーメンを知っていたのには驚愕しました。あんなの地元の人しか知らないものと思っていたのに、なんで千葉の人間が知っているんだ、凄い。どこどこのリンガーハットのなになにはちょっと違う、とか。私なんかはリンガーハットがなんなのかすら知らなかった。やじろべえの「山田うどん」なら知っていますが・・・。