八 ガ 岳 縦 走

第1日 渋ノ湯〜黒百合平〜天狗岳〜オーレン小屋
第2日 オーレン小屋〜硫黄岳〜横岳〜赤岳〜阿弥陀岳〜美濃戸口

 
 7月のとある金曜日、21時45分、新宿駅7番ホームに集合。 集合時間というものがあると、人間はだいたい三種類のタイプがあるようだ。一つは、時間より必ず早く来るタイプ。それから、だいたい時間どうりに現れるタイプ。そして、必ず遅れてくるタイプの三つである。今回のメンバーは最後のタイプの人間が多いようであった。中には1時間以上も遅れてきた人間もいた。普通なら1時間以上も約束の時間に遅れたりしたら放課後、体育館の裏に呼び出されて、皆にかわいがられるといったところであろうが、今回の場合は列車の発車時間が0時02分と時間にかなり余裕がある為そういうことはなくて済んだ。
 0時02分、上諏訪行きのドン行列車は出発した。金曜の中央本線本日の最終列車のようだ。登山者と仕事帰りの、それとも遊び帰りのサラリーマン、OLが沢山乗り込んでいる。意外と混んでいたが、みんな疲れているのかわりと静かだ。
 混んでいるこの列車も八王子で空くだろうと思っていたが全然空か無い。高尾山を抜け相模湖を過ぎた。こんなに遠い所から通っている人もいるものである。大月辺りまでくるとまずまず空いてきた。大月はもう山梨県である。しかしこんな時間こんなところまでこの人達はなにをしにやってきたのであろうか。
 列車はどんどん東京を離れ、上諏訪に向けて走る。明日は早朝から山を登らなくてはならない。そのためにも今、充分睡眠をとっておかなければならないのであるが、このような状態では充分どころか一睡もできない。それでも寝ようと努力はするがやはり無理であった。  列車の通路にマットを敷きつめて寝ている人も現わる。そこへ、おっさんが通りかかった。そのおっさんは、えらく怪訝そうな顔をして暫く寝ている人を見ている。喋らなくてもなにが言いたいかは直ぐに分かった。「こいつらなにやっとんじゃい、通れへんやんけ、おんどれらどいたらんかいワレ!」と言いたかったに違いない。おっさんは、しかたなく黙って寝ている人を跨いであっちのほうへ去っていった。
 とうとう一睡もせず夜が明けてしまった。それでも列車はまだ走っていた。そして列車はやっと茅野駅に着く。我々は茅野の町に下り立った。そこには既に「荻原様御一行」と書いた大きな紙を持ったタクシーマンがいた! しかし、もしこの列車に荻原様御一行がなにかの手違いかなんかで乗っていなかったら、このタクシーマンどうするんだろう?、こんな早朝から呼び出されてたまらんなぁ・・、どういう顔をして怒るんだろうな。などと眠い頭で、しょーもないことを考えながらそのタクシーで渋ノ湯へ向かう。
 タクシーの中では眠かった。そのうち雨も降ってきた。  渋ノ湯に着くと、雨に気合いが入ってきた。眠いのに雨が降る中、山を登るのは気がのらない。仕方なく温泉旅館の玄関の軒下で雨を避け身支度、或いは朝の餌を食べようとしていた。そのとき、旅館の中からおばはんが出てきた。「雨の中を山に登られるんですか、大変ですね。」といった類いのことをきっと言うに違いないと思った。が、このおばはん、なんと予想に大きく反して、これからここを掃除するからそこをどけと言うのだ! 我等を雨の降る中へ放り出すのだ。ほんまかこのおばはん、信じられへんなぁ。信州のヤマンバとちゃうやろか。こんな旅館、海の底に沈んじゃえばいいんだみたいな。そういえばこの旅館の周りにやたらと登山者は入るなとか、登山者は車止めるなとか、登山者は使うな。などというような看板があったような気がする。この旅館、登山者との間でなんかトラブルでも多いのだろうか。北八ツ辺りだとマナーの悪い登山者も多いだろうし。
 そんなふうで、荻原様御一行は雨に濡れながら朝の餌を憂欝げに食べ、身支度をし、天狗岳を目指して歩き始めた。みんな黙々と山を登っていく。雨はそのうち止んだ。そして黒百合平を経て、東天狗岳の山頂に着いた。山頂はガスの中で、北八ッ一の展望もまるでない。最高峰の西天狗岳へ往復する予定ではあったが、これでは行く気もしない。オーレン小屋に向かう。ガスがなければ凄く素敵な展望があるだろう稜線は凄い風が吹いていた。頑張って歩く。稜線を降り、長い下りを下って行くとオーレン小屋にやっと着いた。今日の歩きはこれで終りということで皆さんは、寛いだ。
 テントを張り、少し休んで晩飯の支度をする。また雨が降り出す。
 晩御飯は定番中の定番カレーライスである。しかし最近は、簡単便利で美味しく持ち運びも楽なレトルト食品が主流になってきて、昔ながらのカレーライスは定番ではなくなってきているような気もする。さて、そのカレーは苦労して作ったわりには、鍋で焚いたご飯がとても固く、なんですかこれは状態であった。誰一人、「美味しい」と言った人はいなかったように記憶する。「食べれる、食べれる」と誰かが言っていたように記憶する・・・。
 山に登る人は沢山いる。人それぞれ違うが、なにかを楽しみに登る。ある人は、山で飲み食いすることが一番の楽しみだという人たちがいる。それも中途半端なものではなく本格的な料理を山の上で作ってしまうのだ。よく山行の写真を見せてもらうが、そのほとんどが酒を飲み、赤い顔をして、とても山の上とは思えない立派な料理を食べている写真である。一度、北穂のゴルジュの上辺りでいきなしバーベキューを始めたことがあったらしい。すると頂上間直に登っている他の登山者達はみんな、なにかいけないもの、見てはならないものを見てしまったというような顔をして登っていったという。
 今日は睡眠不足だったので、ディナーが済んだら直ぐ寝ようということであったが、誰かがウノをやろうと言い出した。又、そんな物を持っている人間がいた。それは、「にょろにょろにーさん」であった。「にょろにょろ」とは、アニメのムーミンに出てくる何か変なにょろにょろとした生き物のことで、その名も、「にょろにょろ」という。とにかくその「にょろにょろ」に似ているということからそう呼ばれている。 その「にょろにょろにーさん」は胸のポケットからウノを、いかにもというかんじで取り出した。
 明日は早い、下界はまだ宵のうちでも山の上はもう遅い。ゲームを終了して寝る。ゲーム最下位の「にょろにょろにーさん」の罰ゲームは明日に持越されることになった。
 21日朝、天気はなんとか晴れそうだ。朝、ラーメンを食べ、テントを撤収し、硫黄岳へ向かう。上へ登るにしたがって天気は良くなり展望も利くようになってきた。蓼科山も見える。昨日ガスと風の中だった天狗岳も見える。稜線までは、わりと直ぐに出られた。快晴。八ガ岳核心部の展望が素晴らしい。
 硫黄岳からは晴天の縦走でした、気分は最高に良い。横岳のクサリ場は少し高度感があった。そして主峰赤岳を登る。赤岳の登りで鎖場があった。  赤岳の山頂に着いた。そして私たちは山頂でスイカとメロンを食べた。幸福な山頂での一時を過ごし、荻原様御一行は、阿弥陀岳へ向かう。その途中の鎖場で難儀している大パーティに遭遇した。
「えー、やだー、こわーいっ、あたし通れなァーい」
 などと、ぶっさいくな女の子と、ええ年こいたおばはんが、ブリッ子さらして道を塞いでいた。後ろには他の登山者がどんどんつまって来ているというのに、リーダーらしきおっさんは
「大丈夫、大丈夫」
と知らん顔をしている。何が大丈夫なんだか。こいつらにいっぺん天誅をくらわしてやらんと・・・。
 一人で山に登るのも好きな私にとって、よく登山口などに「単独登山はやめましょう」などという看板があるが、大きなお世話である。そんな看板より「集団登山はやめましょう」という看板を立てて頂きたいと、その時は心の底から思った。こんな登山者たちは海の底に沈んじゃえばいいんだっ。
 阿弥陀岳山頂に着く。山頂にはその名の通り阿弥陀さんが居た。笑ってしまう。宗教登山の名残だろうか。宗教が残した文化や芸術は大変尊重しているが、日光の男体山に登った時はドタマにきた。男体山といえば宗教そのものの山であるが、この山を登るにあたっては宗教的な気持ちは全く無く、日本の名山として、奥日光の展望を満喫しに、純粋登山で登ろうとした。それが、この山いきなし登山口から二荒山神社の支配下であったのだ。登山するのに登拝料と称して、千円!ものお布施を半強制的に登山者からぶんだくろうとしていた。このお布施を差し出した者だけが登山道を通れる仕組みになっている。なんとも情けない。こんなことをして恥ずかしくないのだろうか。現代の宗教団体は全く金儲けのことしか考えていないのか。 坊主と乞食は三日やったらやめられないと言うが、本当だ。だから、大寺院の坊主とか神主はベンツとかフェラーリを乗りまわしているんだ。こうゆうものは、強制的に取り立てるのもではなく、信者の気持ちである。これが本来の宗教の姿であろうに。こんなことをしていなかったら賽銭の一つでも入れてやったが、まことにもってけしからんので賽銭どころかビタ一文払わずおいらは男体山を制覇した。男体山山頂は、ごきげんな展望であった。
 阿弥陀岳より尾根を下り美濃戸口までは、滑りやすい道で結構長く疲れた。変化に乏しい面白くもなんともない道を下る。そんな時、「キャーッ!」とメンバーの女性が悲鳴をあげた。なんだとみんな振り向く。すると、ただ鳥が急に飛び立っただけだそうだ。そこで渡部先生が「鳥より君の悲鳴の方がびっくりするよ」と気の利いたセリフを言ってくれる。その通りでございます。。
 美濃戸口まであと1時間くらいという辺りで休憩。そこで、昨日の罰ゲームという名目で「にょろにょろにーさん」が斥候として先に下山しタクシーを呼びに行く。にょろにょろと呼ばれながらも強力のにょろにょろにーさん、みんなとたらたら歩くよりも、さっさと美濃戸口まで行って休んだほうが良いのか。にょろにょろにーさんにとってこの罰ゲームは、吉であったのか仏滅であったのか良く分からない。
 美濃戸口よりにょろにょろにーさんが呼んだタクシーで茅野駅まで行く。茅野駅の公衆便所の前でお金の精算をする。列車が来るまで少々時間がある。おいらはアイスクリームを購入し食べた。下山後に食べるアイスクリームがとても美味しいということをおいらは知っている。
 特急列車「あずさ」が来たのでそれに乗る。混んでいて席がないので、仕方なくデッキにある便所の前でまたひるむ。ここは冷房が効いていないが、新宿までの2時間、なんだか、討論会をして過ごす。 便所の前には、パラグライダーをやりに行っていたというおねーさんもひるんでいた。  パラグライダーといえば、友人で最近飛んだ者がいる。飛びに行くまでは、「オレ今度、福島へパラグライダーやってくるんだ」と自慢されてしまったが、帰って来てからは黙っていたので、どうだったか聞いてみても、たいへんだと言うだけではっきりとしたコメントがない。彼にいったい何が起ったんだろう。  その後、彼は飛びに行った様子はない。列車は新宿に向けて走る。